愛に恋

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頽唐享楽の歌風

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歌人吉井勇は非常に興味ある人物なのだが、彼の伝記本というのを見たことがない。
勇は伯爵家の家系に生まれながら文学好きが高じて新詩社に入社、与謝野鉄幹の『明星』に短歌を発表。
その後、退社した勇は明治41年、木下杢太郎、北原白秋石川啄木らの詩歌人と「パンの会」を結成、翌年、森鴎外の監修のもと『スバル』創刊に参加。
そして『酒ほがひ』によってデビュー、耽美派の中心人物として活躍したらしいが、晩年は歌会初の選者として、芸術院会員として余生を送るが、勇、絶頂期の歌風を譬えてこんな風に言っている人がいる。
 
「紅灯緑酒の境における頽唐享楽の歌風」
 
難しい言葉が出てくるが「頽唐」はたいとうと読みデカタンス、つまり退廃的という意味になるが、平たく言えば、酒と女に溺れた青春時代の滅茶苦茶な歌詠みというようなことになるか。
勇本人もこのように詠っている。
 
かへりみれば はなやかなりや 半生は 酒と女のなかに送れる
 
なるほどね、私は女で身を持ち崩したか(笑
ところで吉井勇の作品をちょっと挙げてみたい。
 
雨降りて祇園の土をむらさきに染むるも春の名残りなるかな
先斗町の遊びの家の灯のうつる水なつかしや君とながむる
近松の世話浄瑠璃のめでたさを相見るごとに友説きやまず
啄木と何かを論じたる後のかの寂しさを旅にもとむる
病みあがりなれど茂吉は酒酌みてしばしば舌を吐きにけるかも
白秋とともに泊りし天草の大江の宿は伴天連の宿
 
因みに勇は明治19年生まれで啄木・谷崎・雷鳥・須磨子とは同年。
文壇、歌壇、華やかなりし頃の話しですね。