愛に恋

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二つの絵 小穴隆一

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森鴎外の『興津弥五右衛門の遺書』は乃木将軍の殉死に衝撃をうけて書かれた作品だが、確かに鴎外ならずとも興味のある事件に違いない。
私は渡辺淳一の『静寂の声』で殉死に至る経緯を知ったが、著名人の自殺には殊の外詳細を知りたくなるもので、中でも作家の自死は一種の事件なので有島、芥川、太宰、三島、川端と読んでみたが一番同情を寄せるのは芥川ではないだろうか。
 
本書は、先ず市場でお目にかかることの稀な本で、それを偶然、神保町の古本屋がTwitterで載せていたのを見つけ、即、問い合わせしたものだが、一見、背表紙だけでは何の本だか分からないのだが、小生、以前から知っていたので早い者勝ちになったのか。
 
ともあれ、芥川ファンにとってはとても貴重な物だと思う。
著者、小穴隆一は画家で芥川の友人、表紙のスケッチは死の当日、小穴が描いたもので、とてもよく描かれている。
今現在、芥川を知る人はもうこの世にはいまい。
故人を知る人が存命である限り本当の死ではないと言われるが、本書の場合、芥川の友人が書いているので、思い出話も浮きだって聞こえる。
 
扨て、その芥川だが一説に、アソコが実に立派だったと遊女などが証言しているが、確かに彼はこんなことを言っている。
 
「男子、男根はすべからく隆々たるべし」
 
男が男たる所以は、まさにこれに尽きるべし、ということだろうか。
漱石が初見で述べた芥川の感想は。
 
血氣未だ定まらざるとき、之を戒しむる色に在りと訓した。
 
と、言われた芥川は、
 
「夏目先生に一目で見破られた。夏目先生はおそろしい」
 
それを裏付けるように宇野浩二の証言では、芥川の女に対する早業が書かれている。
 
「だって、芥川さんのは憎らしいほど大きいんだもの」
「芥川君のあれでは女はたまらんだろう」
「あれを受ける女は、」
 
芥川は蒲柳の質だが、概してあの手の男が立派な逸物を持っているのは想像できる。
本書には初めて聞くようなことが書いてあるので忘れないためにも引用しておきたい。
 
「女房のお袋が君、自分の亭主が死んだときに、誰も私に再婚しろと言ってくれる人がいなかったと、まるで怒ってでもゐるかのように言っていたよ」
「塚本さんの旦那さんは初瀬の機関長、日露戦争のとき艦が沈むに殉じて死んだ」
 
塚本とは妻、文の実家の姓だと思うが、初瀬は巡洋艦だろうか。
芥川には三人の子供に関しては、
 
「女房は子供を一人は小説家、一人は畫かき、一人は音樂家にしたいとゐっているのだ」
 
「久米は好きな女と對ひあって話をしている、それだけでもう洩らしているんだといふが」
 
久米とは久米正雄のことで、先ずそんなことはあり得ないが、久米は違ったのだろうか。
ところで文壇についてどう思っていたか、本人が語っているので、これも引用したい。
 
志賀直哉の藝術といふものは、これは知恵とかなんとかいふものではなく、天衣無縫の藝術である。自分は天下唯一人志賀直哉に立ち向ふ時だけは全く息が切れる。生涯の自分の仕事も唯一人志賀直哉の仕事に全くかなわない」
 
知恵では誰にも負けないと言いうが、恐るべきは志賀直哉だと述べている。
ただ、両者の対面があったかどうか、一度たりとも、その文献に巡り合ったことがない。
この件に関しては興味が尽きないが、柳原白蓮とは何処かで会っていたとある。
 
長くなりそうだが興味深い記述が多いので、今回は逸話やエピソードを載せておきたい。
 
芥川夫人の友人で麻素子という女性と心中を図ろうとしたことがあった。
然し、芥川は彼女との間に肉体関係はなかったと思わせるための理由が書かれている。
 
「麻素子さんにお乳がない(乳房が小さいという意)ので、さういう婦人となら、いくら世間の者でも麻素子と自分との關係があったと言わぬであろうし、また自分も全然肉體關係がなしに、芥川龍之介は、さういふ婦人と死んでゐたといふことを人に見せてやりたいのだ」
 
つまりはなんだ!
芥川はぺちゃパイの女性には興味がなく、故に、麻素子との間には肉体関係がないまま心中に至ったということを世間に知ってほしかったと、こういうわけか。
他にも小穴の思い出としてこんな話が書いている。
 
「わたしははやくに父をなくしてゐたから、どんなのだくれでもいい、お父さんがあったほうがよいと思ってゐた、それだのにと言って泣かれた時は僕は実際、、、」と芥川は夫人が言ったそのことを言って「僕は實際女房にすまない。」「いくぢがないんだ。」とこみあげてしまって路に立ちどまったまま涙だをふいていた。どこまでも淋しい鵠沼の思出である。
 
何か、身につまされますね。
そんな妻を残して死を決断している芥川、私が彼の友人だったらどうしたろうか。
続ける。
 
母親が晩年しょんぼり二階に一人で暮らしていて、人が紙を渡しさえすれば、それにお稻荷樣ばかり畫いていたと言ひ、芥川も恐るおそる二階に首をだしてお稻荷樣を畫いて貰ったことがあると言ってゐたが、僕は晩年人が紙を渡しさえすれば河童を畫いてゐたその芥川の心中を思ふとひとりでに涙がわいてくる。
 
昭和二年の秋、芥川の家で大勢とシネマの中のなかの生前の芥川を見た。芥川はその改造社現代日本文學全集の宣傳用フィルムのなかに動いてゐて、なんともいへぬ顔をしてゐるのだ。

 


芥川龍之介 生前の映像 昭和2年(1927) Ryunosuke Akutagawa

 
それがこの映像だろう。
最後に芥川から自決を仄めかされた時のことも書いている。
 
「かういふことは友達にもいふべきことではない、が、友達として君は聞いてくれるか」
 
といって自決することを僕にうちあけた。
 
だからといって小穴は、はいそうですかというわけではないのだが、あまりにも硬い決意に対し、その後、ノイローゼぎみになっていく小穴。
日々、今日こそ自殺するのではないかと考えながら過ごすのは苦痛だったようだ。
はて、私なら芥川を救うためどうしたであろうか。
一緒に住むか!
戦後まで生きて多くの傑作を作って欲しかった。
 
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