愛に恋

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誠之助の死

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佐藤春夫明治25年4月、和歌山県新宮市で代々医療を業としていた家系、佐藤豊太郎の長男として生まれた。
その父の友人である同業の、大石誠之助が大逆事件で死刑判決が下ったことに春夫は大きな衝撃を受け「愚者の死」という詩を書いている。
 
然し、それとは別に誠之助の友人であった与謝野鉄幹が書いた「誠之助の死」は広く世に知られるところになった。
 
大石誠之助は死にました、
いい気味な、
機械に挟まれて死にました。
人の名前に誠之助は沢山ある、
然し、然し、
わたしの友達の誠之助は唯一人。

わたしはもうその誠之助に逢われない、
なんの、構うもんか、
機械に挟まれて死ぬような、
馬鹿な、大馬鹿な、わたしの一人の友達の誠之助。
それでも誠之助は死にました、
おお、死にました。

日本人で無かった誠之助、
立派な気ちがひの誠之助、
有ることか、無いことか、
神様を最初に無視した誠之助、
大逆無道の誠之助。

ほんにまあ、皆さん、いい気味な、
その誠之助は死にました。

誠之助と誠之助の一味が死んだので、
忠良な日本人はこれから気楽に寝られます。
おめでたう。

 
大石誠之助は貧しく治療費が払えない患者でもドアを3回ノックすれば、それが合図として無料で診察したとか。
町では毒を取ってくれるドクトルさんとして親しまれていた医者で、貧困、差別、偏見と闘った大石。
この詩には鉄幹の嘆きが聞こえるようで心を打つ。