「問ふ。能に序・破・急をば、なにとか定むべきや。問ふ。これ、やすき定めなり。一切のことに、序・破・急あれば、申楽もこれに同じ。能の風情をもて定むべし」
難しい。
つまり、こういうことか。
世阿弥は、世の中の一切のことに序・破・急のリズムが存在すると言う。
最初、ゆっくりしたテンポで始まり、中盤のある時点から急激にテンポが変わり、そこから一気呵成に加速度的にテンポを速めて、エンドを迎える構成が最も音楽的で、人間の生理的リズムに合うという。
更に「別紙口伝」で能の極意をこう紐解く。
「秘する花を知ること。秘すれば花なり、秘せずば花なるべからずとなり。この分け目を知ること、肝要の花なり」
隠すからこそ花になる。隠さねば花にならない。
なるほどね!
秘すれば花なりか、つまり嗜みということだろう。
特に現代人には耳の痛い話だ。
日本の古典芸能は全て華美なものを排除し、禅や侘び寂びに通じる静謐のもので、嗜み、奥床しさを旨とした伝統美と様式美に彩られている。
誠に持って素晴らしい。
これこそは日本人が平安朝以来、営々と築いてきた世界に誇るべき財産だろう。
この点に関しては日本に生まれて来たことを感謝している。
武士は相見互いなどという言葉もある。