中野重治は昭和47年に、
「海外に出て、日本の詩人のはしくれでありながら、こいつが日本、と胸を張って言えるのは彼一人よりなかったというのは、なんとしても淋しい。そして、いまもう一度外国へ行ってもおなじことしか言えない」
と語っている。
「彼」の名は萩原朔太郎。
確かに朔太郎こそは素晴らしい。
佐藤春夫は斯く云う。
「若さは、夢であり、花であり、詩である。永久の夢といふものはなく、色褪せない花はない。また詩はその形の短いところに一層の力がある。若さも亦、それが滅び、それがうつろひ、それが長くないところに一しほの魅力がある」
人の世の栄華の儚いことの譬えや束の間の盛りの事を、
槿花一朝の夢(きんかいっちょうのゆめ)
と言う。
むくげの花が朝咲いて、夕暮れには散ることからの譬えだが、煎じ詰めれば人生このようなものなのだろう。
併し朔太郎は、その短い人生に於いて気炎を吐かずにいられない。
曰く、
「三木露風一派の詩を追放せよ」
?
謂わんとしていることがよく分からない。
若かりし頃に感動せしめたこの詩がある限り、追放というのはどうかと思うが。
「眠りたまふや」。
「否」といふ。
皐月
花さく、
日なかごろ。
湖(ウミ)べの草に、
日の下に、
「眼閉じ死なむ」と
君こたふ。
草履は履き古されて来たが、名言、名作は不滅かと思うがどうだろう。
朔太郎先生、露風さんはね、子供の頃に母と生き別れとなって、寂しい人生を送って来た人なんですよ、何もそこまで言わなくとも。