愛に恋

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天使はブルースを歌う――横浜アウトサイド・ストーリー 山崎洋子

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私にとって団塊の世代とはマルキストかヒッピーか、大別すればいずれか二つに属してしまう種族になってしまう。
中学生の頃などは、何故、あの世代の人たちは機動隊とぶつかり合っているのか理解できなかった。
革マル派連合赤軍といっても、主義主張を理解してない私は、何をそんなに死に物狂いでやっているのか分からず、そこへ持ってきて三島の割腹自殺。
世の中の動きを理解するにはまだ若すぎた。


どちらかといえばヒッピー路線への傾向を強めていた私は、革命なんかは考えず、好きな音楽を聴いて、映画鑑賞、読書と平和裏に過ごしたいという怠け者。
そんな怠け者にGSサウンドはピッタリフィットして、将来の洋楽嗜好への土壌に種バラマキ、僅かな活動期間だったが殆どのヒット曲を50年ほど経った今でも歌える。


一方、この世代の人たちは私にとっては怖いお兄さんで、中でもその筆頭がゴールデン・カップス
あの当時、ただでさえ音楽を演る人は、どこか取っ付きにくく何となく不良っぽいところがあって、ちょっと強面で委縮しちゃう。

然し、そのゴールデン・カップスは一番本格的なロックバンドだったんだろうか。
先日、本屋に行くと購入を決めていた物を取りやめ、急遽、帯にゴールデン・カップス、エディ・潘の名前を見つけたので読みたい、買いたい、欲しい病炸裂で迷わず購入してしまった。


東京生まれの名古屋育ちの私は外国人を初めて見たのはいつだったか記憶にない。
海外旅行などは夢の夢で、昭和39年まで日本人は自由に外国へ行けなかった。
そんな夢を満たしてくれたのは精々『金高かおる世界の旅」を見る程度だろうか。
然し、デイブ平尾だけは違った。
何の不自由もなく育った彼は、翌年、つまり昭和40年にアメリカ旅行とあるから、かなり裕福な家の息子だった。


そんなデイブ平尾をリーダーとする、ザ・ゴールデンカップスのデビューは1967年の「いとしのジザベル」で、彼らGSのメンバーは同世代の学生が機動隊と角材を持ってぶつかり合っているのをどのように見ていたのか分からないが、著者も同じ団塊の世代で、こう書いている。


学生運動が暴力を伴いつつも前進しようとする革命運動だとすれば、一方で、後退しようとする革命運動というべきヒッピーという存在があった。ヒッピーはもともと、平和、非暴力、自由といったことから始まったのだが、日本に入ってくるとだんだん退廃的な色合いが濃くなり、一日中、シンナーを吸って、新宿駅周辺などで呆けたように座り込んでいる若者を指すようになった。


はい、新宿東口ですよね。
昭和48年になっても彼らはあそこでたむろしていました。
私は遅れて来たヒッピーだったがシンナーだけはやらなかった。
本書は戦後、GIベイビーと言われ、墓地に葬られた約900体の嬰児たちを知ることによって、横浜で娼婦となった女たちの哀しい歴史など掘り下げるノンフィクションで、その数は横浜だけで15,000人といわれる。


昨日まで鬼畜米英と叫んでいた女性が、生きて行く糧としてパンパンと呼ばれる人生を選んだのか私には分からないが、彼女らが産んだ混血の数が26年までで15万というから凄い。
その中のひとりがザ・ゴールデンカップスの天才ベーシスト、ルイズルイス加部で、彼がどんな境遇であれ、若くして自らの道を切り開き、今日もライブハウスで活躍していることは誇らしい。

因みにサイドギターのケネス伊東が脱退してハワイに帰ったのをきっかけに、ミッキー吉野がキーボード奏者として加入したのは1968年、ミッキーはまだ16歳だった。

 

今現在、15万の混血児の人たちがどうしているのか分からないが、困難な人生を歩んでこられたのだろうか。

然し、GSのメンバーも多くは世を去り、同世代の星野仙一も先達て旅立った。本書は約20年ぶりの復刻版らしいが、本当に再販されて良かった。

横浜や本牧の歴史を知ることと悲哀に満ちた女性たちの人生。

忘れてはならない戦後史の一ページなのだから。

 

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