こぞの年あたりよりわが性欲は淡くなりつつ無くなるらしも
たのまれし必要ありて今日一日性欲の書読む遠き世界のごとく
わが色欲いまだ微かに残るころ渋谷の駅にさしかかりけり
斎藤茂吉には17,907首の歌があるらしい。
この三首はいずれも自身の性欲を歌ったもの。
一首目は47歳、二首目が55歳、三首目が70歳の頃とか。
私の知る限り近代作家の人達はかなりの性欲で悩まされ続けて来たと思うのだが、茂吉先生もその例外足りえずというわけだ。
高村光太郎は確か性欲を抑える薬を飲んでいたと読んだが。
ガンジーも性欲にはかなり苦しんだと伝記本に記している。
一首目の「こぞの年あたり・・・」が48歳の作とすると、即ち「こぞ」とは去年という意味だから47歳で「淡くなりつつ」あったと言っている訳だ。
また「たのまれし必要ありて・・・」で55歳、既に性欲は五つの赤い風船じゃないが「遠き世界のごとく」に変身してしまった。
そして70歳、「微かに残るころ」と歌った茂吉先生はこの歳で逝去している。
だが、男としては感慨深い歌だ。
最近はあまり聞かないが、「女の尻ばかり追いかけて」とか「また、男を咥えこんで」なんて下卑た言葉も一面は男女の性質を表現していて面白いと思うのだが。
その何れも、朧に枯れていく年齢は人それぞれ。
然し、枯れていくとは活力の低下、人生、終盤に差し掛かったようで、あまり受け入れたくない。
デカ尻を追いかけし我幾たびか物にならずと知りつつもなお
茂吉先生、こんなのはどうでしょうか。