2019-05-04 1944年2月15日 モンテ・カッシーノの戦い あの日、あの時、写真は語る 連合軍のイタリア戦線突破口としてモンテ・カッシーノの戦いは始まり、修道院が枢軸軍守備隊の監視所として使用される懸念があったため、アメリカ軍は1,400トンに及ぶ爆弾で修道院を爆撃、その結果が上の写真だが、然し、実際にはドイツ軍の守備隊は配置されていなかった。 激闘は4か月続き、甚大な損害を被りながらもドイツ軍を駆逐。 この戦いで修道院は完全に破壊されたが、芸術品は安全を考慮してドイツ軍がバチカンへ移送していた。 現在は再建されているとはいえ、このような愚行はあってはならない。