これは神戸の港湾都市に爆弾を投下しているのだろうか。
日付は分からないが、昭和20年になると終戦が一日延びるたびに何処かの都市が爆撃されているわけで、最早一刻の猶予もならない状態が続いていた。
絶対的国防圏たるサイパンが落ちた時点で、いずれこうなるのは分っていたこと。
勝負事は最後までやってみなければ分からないという考えも分かるが、国力の差は歴然、やはり勇気ある決断が望まれた。
敵の手は硫黄島、沖縄と迫ってくる中、東條内閣、小磯内閣、鈴木内閣、いや、3月10日の東京大空襲までに講和条約を結んで欲しかった。
当然、満州、または中国大陸からの全面撤退という条件もありえたと思うが、しかし、国土を焦土と化すよりはよっぽどいいと思う。
多くの人命と文化財の焼失、まったくやりきれない。
終戦工作はクーデターの可能性も伴うが、それを抑える強い力が欲しかった。
東條内閣が退陣した時に、小磯首相はもっとリーダーシップを発揮してほしかった。
悔やまれてならん。