恥ずかしながら、我が街を紹介するに、簡単明瞭で分かりやすい。
居酒屋、風俗、ラブホテル!
元より古本屋などは一軒もなく、唯一あった町の本やさんとCDショップは需要のなさから消し飛んでしまった。
以来、文化の空洞化現象著しく、上は知事、市長、区長と誰も振り向いてくれず、選挙があるたびに、
「より良い街づくりにして行こうではありませんか」
「改革を止めちゃダメなんです」
「みんなが幸せに暮らしていける街にしようではありませんか」
はいいが、「より良い街づくり」とはどういうことなのかさっぱり分からない。
まあ、そんなことはいい。
仕方なく、新刊本1冊ほどの交通費を使って古本屋街へ赴かなくてはならない。
そして昨日のこと、目指す古書店はたったの2軒。
手前のA店でいつもなら素通りの奥のショーウインドーを見ていたら何と、
あったー!
右から16冊目、探し求めていた『東海道刈谷驛』、確かにある!
しかし、なぜショーウインドーの中に。
たかだか文庫本ではないか。
と思い、手前を見ると!
えええ!合計43点を¥50,000.
¥50,000じゃと、いくら旺文社の文庫と雖も50,000円は高いかろうに。
つまりばら売りはないというわけか。
そうか、しかし内田百閒全巻揃い踏みとなると確かにそうお目にかかれるもんじゃない。
ああ・・・、折角見つけたと思ったら。
仕方なく他の書棚を見て歩く。
実は殿山泰司のエッセーを探しているのだが。
しかしどうだ、程なく天上近くの棚に内田百閒の単行本の存在を発見、すると...
あったーーー!
あっ、あるではないか、やったーーー!
いや、喜ぶのはまだ早い、文庫じゃなくてもいい、ね、値段は値段は。
なにぃーーー、¥4,500とは弥次さん喜多さんも驚く値ではないか。
この本はそんなに価値があるのか。
駄目だ、これ1冊のためにそんなに出せない、今回は諦めるか。
止む無くB店に赴きくまなく一巡したが、今日はさりとて、これといった物がなかった。
然し、店員が初っ端に見ていた辺りに何か補充していたので、今一度その辺りに戻って検索していると、今日は捕獲品ゼロかと思っていたら、結局これだけ見つけてしまった。
やれやれだ!