愛に恋

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お盛んすぎる 江戸の男と女  永井義男

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今の時代、まだ秘宝館なるものが全国にあるのかどうか、昔はテレビCMなどでも放映していたものだが、最近は専ら聞かなくなった。
確か昭和48年だったと思うが富士の五合目に行った帰り、富士五湖を見て、何処へやらの秘宝館に入った記憶がある。
初めてのことでもあり、当初は何のことだか分からなかったが、展示品を見て回るうちに煙たなびく靄の中から手探りで、その内情を知るように意味合いが知れてきた。
複数の男女で入館したので、みな複雑な面様だったが、年長者は初めから、合点承知の助で、女性の手前とはいうもののあっけらかんと楽しんでいた。
曰く、江戸時代の性戯などで使う、今日でいうところの大人の玩具などを展示してあるのを見るという何とも複雑な塩梅になった。
 
とは言うものの、本書のような物を探していたわけではない。
時折、古本屋で目にすると、つい手が伸びてしまうのも、これ人情。
況や購入することも定めしあろうかと思う。
扨て、江戸時代の性については、今日以上にお盛んだったとは、これまでも漏れ聞いているが、どの程度のものなのか、更なる考察を付けたく、頁を捲るに、何と、女は十五、六まで男の肌知らぬ娘もなけれど、表向きはどこまでも初めてのつもりと、のっけから驚き入り候じゃないか。
 
天保期の『艶紫娯拾余帖』に書いてあるので間違いない。
女性も猥雑だったことは知っているが、17歳以上で処女がいないとなれば由々しき事態だと思うが、その辺り、親はどう考えていたのだろうか。
いや、これもまたいつか来た道と諦めていたことか。
 
さてさて、いろいろ面白いことが書かれているが、当時は当然、初体験などという言葉はない。
破瓜(はか)と言うらしい。
瓜を破ると書いて初体験と為すか、瓜を破るねぇ・・・!
また、江戸の堕胎薬として「月水早流、代三百七十二文」「朔日丸、代百文」などが長屋の共同便所の板壁に堂々と貼られていて、天明三年に刊行された彙軌本紀(いきほんき)という本にはこんなことが書かれている。
 
当世流行するものは、画草紙、洒落本、虱紐、笛吹按摩、女医者」
 
女医者とは中条流堕胎医で女医者のことではなく、天明三年の頃はあちらこちらに中条流が掛かっていたとある。
しかし、有効的な避妊法や安全な中絶手術がなかった時代だけに、性を享楽した挙句のツケも大きく、往々として悲劇的な結末も待っていたらしい。
 
ところで、昭和の初め、坂田山心中事件を題材に『天国に結ぶ恋』という映画が公開され、これを機に心中事件が流行ったそうだが、元禄期以降、若い男女の心中が社会現象になり、幕府は享保七年「心中」という言葉の使用を禁じて「相対死」と表現し、厳しい処罰を科した。
それでも心中を図ると、
 
・男女とも死亡した場合、遺骸取り捨て、葬式禁止
・失敗して片方が生存の場合、生存者は下手人
・失敗して双方生存の場合、男女とも三日晒のあと非人手下
 
という過酷なものだった。
扨て、話はまだ続くが、気になる大名家の初夜の場合はどうしていたのか。
酒宴が終わるといよいよ床入りとなるが、新婦に着いて来た奥女中が狗張子を持参したとある。
 
「終わったあと、紙はこれにお入れください」
 
と言って立ち去る。
房事が終わると、後始末をした紙を狗張子の中に収める。
翌日、奥女中が狗張子を回収し、新婦の実家に運ぶ。
先方では紙に血痕が付着していると安堵した。
 
一方、庶民の住む裏長屋ではプライバシーというものが無い。
壁が薄いため隣がどれだけ励んでいるか筒抜けというわけだ。
江戸時代、娯楽が乏しいため、他にやることがなかった。
こんな統計も書かれている。
厚生労働省研究班が平成22年に行った調査によると「一か月以上、性交渉がない」夫婦の割合は40・8%。
 
しかし昭和28年、厚生省人口問題研究所の『日本人の性生活』では住環境が劣悪の中でも、週に5回~7回という統計になっている。
時代が遡れば上るほど、セックスレスとは無縁な夫婦生活だったらしいが、それもそのはず、当時の棟割り長屋では四畳半に数人の子供と夫婦が住むわけで、子供は幼くして両親が何をやっているのか知ってる、当然、ませたガキに仕上がるというわけだ。
 
余談だが、今日でもボボにマラといえば何のことか自ずと分かるが、江戸時代は「間」と書いて「ぼぼ」、または「つび」といったらしい。
男性器は「魔羅」と書いて「へのこ」と読む。
つまり「湯ぼぼ、酒まら」とはここからきている。
 
更に春画にはなぜ口淫が少ないのかというテーマもある。
口淫とはフェラチオのことだが、私も以前からそれは感じていた。
というか、そのような春画を見たことがない。
その原因は現実離れした巨大な陰茎にある。
陰茎を巨大に描く伝統があったため、結果として口淫は題材にしにくいということらしい。
確かに!
このようなことからいろいろ想像するに、長屋の井戸の周りではかまびすしい主婦の淫靡で猥雑な会話が大っぴらに昼の日中から繰り広げられていたことだろう。
それも朗らかで近所付き合いのならではの江戸事情ということだろうか。
 
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