幕臣の子に生まれたわけでもないが稀にみる才幹を示し、勘定吟味役、佐渡奉行、小普請奉行、大阪町奉行、そして役人としての最高職、勘定奉行にまで上り詰めた逸材で、ロシア使節プチャーチンと和親通商条約談判に尽力したことはよく知られている。
川路には『佐渡赴任日記』『長崎日記 下田日記』などの著作があり現在でも読むことが出来る。
急遽、プチャーチンは日本人大工を使って新船建造に取り掛かる。
米国船が戻って来たのは四月の十五日。
その日の川路の下田日記が可笑しい。
上陸した米船員が下田に残っていたイスパニア人の妻に駈け寄るところから始まる。
「日本人立ち合いの人、多くいる中で抱きつき、いろいろと泣き口説き、人目を少しもはばからず、大変長いこと口を吸った。そのうえ、夫婦手を引き合い、一間のうちへ入り、戸を締めて出てこない。そのさまは犬に異なることなし」
川路関係の本を読むと大抵この場面が出てくるのだが、犬に異なることなしというのは、外にはそのような呻き声が洩れ聞こえてきたと解釈したらよかろう。
ただ、この場面を想像するに、いまだ嘗て男女の濃厚な接吻を公の場で見た事のなかった小役人や町民などは、ただ茫然と二人を取り巻き見ていたと思うのだが、これが無性に笑える!
そんな川路には幕府の瓦解は世の終わりと見たのであろうか。