愛に恋

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甲申正月述懐 河上肇

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河上肇が没したのは昭和21年1月30日、『貧乏物語』『自叙伝』など有名だが、どちらも未読でいずれは読みたいと思うが、果たして私などに読めるか、何だか難しそう!
経済学者である河上はこんなことを言う。
 
「貧乏をなくすには金持ちが奢侈をやめることで、富裕層と貧乏人の格差をなくすこと」
 
貧乏退治論だが、しかしどうしてなかなか、そうはいかない。
ところで、河上には3人の子供がいたようだが、長男の政男(24歳)を亡くした時に詠んだ歌が哀しい(大正15年9月22日)。
 
百四十日胸と頭に氷おき秋を待ちわびて逝きにし我子

汝逝きて我世はすでに終れりと思ふともなく思ふことあり

年五十、子を亡ひて今更に人のいのちの尊さを知る
 
更に二ヵ月後、こんな詩を作っている。
 
政男 政男
京にあっては
秋のわかれの言葉
十夜の鐘がなる。

百四十日、病に臥して
お前の待ちわびてゐた秋が
いつしか無駄に来て
今また去ろうとしてゐる。

政男 政男
逝きしお前を思うて
父はあの鐘のねに
ただほろゝゝと涙をおとす。
 
哀しみ深い河上肇、慟哭を思わせるような剥き出しの感情に、人間の生き死にの激情を感じる。
こんな詩を読まされると、河上肇とはどのような人生を歩んだ人なのか興味がわく。
昭和十八年十二月二十九日の作品では。
 
ふるさと
 
配給の米の
餅となりて届きしを
手にとれば
柔かにして
まだぬくみあり

味噌をはさみ
火にあぶりて食らぶ
をさなきころの
わがふるさとのならひなり

あゝ
ふるさと
ふるさと
人は老いてふるさとを恋ふ
老いてますますふるさとの味をおもふ
 
更に昭和19年には。
 
甲申正月述懐
 
天涯の一角に
あつき病を得て
すでに年の半ばを
あこは病院に臥せり
いとし子の病看むとて

老妻もまた
海のかなた
とつくににとどまれり
母はすでに八十四
いく山川をへだてて

西のかた二百里
わがふるさとに住めり
ひとりわれ京のほとりにありて
母を思ひ
妻を思ひ
子を思ふ
 
曠古の大戦
世は狂へるがごと
わがいほは
ひるなほしづか
人はかかるさかひを哀めど
われ敢て黎明の近きを疑はず
心は風なき春のあけぼの
太古の湖の静けさに似たり
(一月五日)
 
甲申正月とは、この年、つまり昭和19年が甲申の年にあたるのであろう。
河上肇が残した詩歌は人間の普遍的な感情を汲み取るようで胸を打つ。