愛に恋

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蒼馬を見たり 林芙美子

 
彼女を連れ立って尾道へ旅立った朝、それは春まだ浅い二十歳の私。
ホームに降り立つと右手に瀬戸内、左に小高い山、その昔、志賀直哉が移り住んだのも頷ける風情と潮の香。
思えば林芙美子に惹かれての旅立った。
『放浪記』より先に『浮雲』を読んだ私は、終盤に出て来るこの詩に痛く感動したものだった。
 
懐かしき君よ。
今は凋(しぼ)み果てたれど
かつては瑠璃の色
いと鮮やかなりしこの花
ありし日の君と過ごせし
楽しき思い出に似て
私の心に告げるよ。
 
芙美子の才能は、あの放浪と貧困の中にあって、どのように培われてきたのか、殆ど、天賦の才があったというしかない。
『放浪記』は芙美子、起死回生の一発となり映画化されるが、ある一場面を未だに思い出す。
確か、新築なった家に加藤大介が訪問して来るところ。
芙美子演じる高峰秀子に、
 
「貴女のお母さんは、いつも瑤泉院(ようぜんいん)のような恰好をしてますね」
 
とかなんとか言うはずなのだが。
それを聞いて、なるほど確かにと私も相槌打った。
瑤泉院とは浅野内匠頭の御内儀で夫の死後、落飾して瑤泉院と称したもの。
 
前振りが長くなったが、そんな芙美子に詩集があったのを知ったのは、かなり後年になってからで『蒼馬を見たり』とは、また上手いタイトルを付けたものだと感心した。
今回、当時のままの復刻版を手に入れたので読んでみたが、初版は昭和四年六月十五日、舊字体、舊仮名遣いで書かれている。
序は石川三四郎辻潤だが辻の序は大正十四年十二月二十九日と古い。
定価は六十銭。
当時はどのぐらい売れたのだろうか?
 
しかし、概して詩集は当人になり切れない限り、総てを理解するのは難しい。
だからいつも、理解でき、感銘受けたものだけでも残ればそれで由としている。
彼女が果たして、どのくらいの男性経験があるか知らないが、『善魔と惡魔』の中で芙美子は言う。
 
此頃つくづく性欲から離れた
心臓が機關車になるやうな
戀がしてみたいと思ひます。
 
貞操共産主義も鼻について來ましたからね
やっぱり私の心臓の中にも
善魔がゐるんですね。
 
これなどはなかなかいい!
『ロマンチストの言葉』の中からは。
 
これでもか
まだまだ・・・
これでもへこたれないか!
まだまだ・・・
 
貧乏神がうなつて私に肩を叩いてゐる
そこで笑つて私は質屋の門へ
『弱き者よ汝の名は女なり』と大書きした。
 
質屋通いが感性を研ぎ澄ませていったか!
 
『乘り出した船だけ』
 
どこをさがしたつて私を買つてくれる人もないし
俺は活動を見て五十錢のうな丼を食べたらもう死んでもいゝと云った
今朝の男の言葉を思ひ出して
私はサンサンと涙をこぼしました。
 
遠い昔、やっと思春期が過ぎた私に、林芙美子の文学は琴線をまさぐる作用を兼ねて心地よかった。
芙美子は、翻訳とはチャーハンみたいなものかと言っているが、これとて、簡単そうで意外に出て来ない。
戦前の貧しかった時代の話を詩っているので、ひしひしとその心情が伝わってくる。
最後の表題となった、『蒼馬を見たり』で締めくくりたい。
 
古里の厩は遠く去つた

花が皆ひらいた月夜
港まで走りつゞけた私であつた

朧な月の光りと赤い放浪記よ
首にぐるぐる白い首巻きをまいて
汽船を恋ひした私だつた。

だけれど……
腕の痛む留置場の窓に
遠い古里の蒼い馬を見た私は
父よ
母よ
元気で生きて下さいと呼ぶ。

忘れかけた風景の中に
しほしほとして歩ゆむ
一匹の蒼馬よ!
おゝ私の視野から
今はあんなにも小さく消へかけた
蒼馬よ!

古里の厩は遠く去つた
そして今は
父の顔
母の顔が
まざまざと浮かんで来る
やつぱり私を愛してくれたのは
古里の風景の中に
細々と生きてゐる老いたる父母と
古ぼけた厩の
老いた蒼馬だつた。

めまぐるしい騒音よみな去れつ!
生長のない廃屋を囲む樹を縫つて
蒼馬と遊ぼうか!
豊かなノスタルヂヤの中に
馬鹿! 馬鹿! 馬鹿!
私は留置場の窓に
遠い厩の匂ひをかいだ。
 
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