愛に恋

    読んだり・見たり・聴いたり!

倚りかからず 茨木のり子

f:id:pione1:20190118164439j:plain

行方不明の時間  

 
人間には
行方不明の時間が必要です
なぜかはわからないけれど
そんなふうに囁くものがあるのです
 
三十分であれ 一時間であれ
ポワンと一人
なにものからも離れて
うたたねにしろ
瞑想にしろ
不埒なことをいたすにしろ
 
遠野物語の寒木戸の婆のような
ながい不明は困るけれど
ふっと自分の存在を掻き消す時間は必要です
 
所在 所業 時間帯
日々アリバイを作るいわれもないのに
着信音が鳴れば
ただちに携帯を取る
道を歩いているときも
バスや電車の中でさえ
<すぐ戻れ>や<今 どこ?>に
答えるために
 
遭難のとき助かる率は高いだろうが
電池が切れていたり圏外であったりすれば
絶望はさらに深まるだろう
シャツ一枚 打ち振るよりも
 
私は家に居てさえ
ときどき行方不明になる
ベルが鳴っても出ない
電話が鳴っても出ない
今は居ないのです
 
目には見えないけれど
この世のいたる所に
透明な回転ドアが設置されている
無意味であり 素敵でもある 回転ドア
うっかり押したり
あるいは
不意に吸い込まれたり
一回転すれば あっという間に
あの世へさまよい出る仕掛け 
さもすれば
もはや完全なる行方不明
残された一つの愉しみでもあって
その折は
あらゆる約束ごとも
すべては
チャラよ
 
茨木のり子の写真を見ていると、聡明、理知的、美人という印象を持つが、その彼女が、この詩の中で「不埒なことをいたすにしろ」と書いているところが面白い。
確かに人間、行方不明の時間が必要だ。
所謂、独りになりたいという時間と思えばいいだろう。
 
この人、24歳で結婚、49歳で主人を亡くし、子供に恵まれなかったのか79歳で亡くなるまで独りで暮らしだったようだが、詩人を生業とするような感受性の強い人であるからして、さぞ、寂しかったろうに。
 
私とは親子ほども年が離れているが、こんな人が傍に居れば始終、面倒を見に行ってあげたのに、誰にも看取られることなく逝ってしまった。
本は何でも読んでみるものだ、先月の古書市で籠の中に入れた一冊だった。
 
ポチッ!していただければ嬉しいです ☟