愛に恋

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わたしの渡世日記 高峰秀子

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高峰秀子が出演した昭和14年の『われ等が教官』という映画の中で、琴を弾く場面があるらしい。

それがため稽古として連れて行かれたのが誰あろう検校、宮城道雄であったという。
少し長いが彼女の文章を引用させてもらって、そのあたりを紹介したい。
 
ある日、私は東宝音楽部の一人に付き添われて自動車に乗せられ、牛込の、ある日本風の家の中に放り込まれた。十畳ほどの薄暗い部屋に通され、しばらくして目が慣れると、琴が二面並んでいるのが見えた。
 
やがて、女の人に手引きされて和服姿の中年の男性が、「ハイ、こんにちは」と言いながら現れた。
その顔を一目見た私は仰天、絶句した。
私と向かい合って琴の前へピタリと正座したその人は、当時の箏曲界の神サマといわれた宮城道雄検校その人であった。
 
「生まれて初めて御対面した、このおそろしく長い琴という楽器を、人もあろうに、ミ、宮城道雄の前で弾けというのか?そりゃあんまりだ、あんまりだよォ」と心の中で叫んだけれどもう遅い。
宮城道雄の手がスウッと琴の上に伸びて「さあ、はじめましょうか」と、やわらかい声が続いた。
進退ここにきわまった私はおへそのあたりに力を入れて「お願いいたします」と頭をさげるよりしかたがなかった。
 
ピンと弾けば「いえ・・・」シャンと弾けば「オヤ・・・?」そのたびに私の肝っ玉はボウフラの如くのびたり縮んだりした。全身が一個の巨大な耳と化している宮城道雄の前では一切のゴマかしというものがきかない。
 
お世辞笑いも、てれ笑いも無用というより、そんなものの出る余裕さえない。
恐ろしさと苦痛とで尻込みする私の足を、ひきずり、ひっぱたくようにして、それでも四、五日も通っただろうか?
私はぶっ倒れる寸前になんとか「六段」の一節と「千鳥の曲」の一節を弾けるようになった。
 
昔の芸事の厳しさはよく聞くところだが、検校宮城道雄の前で琴を弾くとは私なら必ず胃腸科にお世話になる。
というかまず指が動かない。
はっきり言って逃げ出したい!
 
「検校(けんぎょう)」とは盲官の最高位。
昭和31年、愛知県の刈谷駅近くで列車から転落して宮城道雄は死亡したが、その真相はよく分からない。
トイレと間違って昇降口から転落したと中学の頃に習ったが、警察の発表では自殺となっている。
ただ、当日はお弟子さんも一緒で何故ひとりで便所に立ったか疑問が残るが、高峰さんは自殺説をキッパリ否定している。
 
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