愛に恋

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心筋梗塞の前後 水上 勉

 
既に故人だが、水上勉さんが生前、心筋梗塞を患ったとは知らなかった。
古本屋の書棚でこの本を見つけ同病相憐れむの心境から購入、私も6年近く前、突然、胸の痛みを訴え心筋梗塞を発症した縁とでも言うか、水上さんのケースを知りたくなった。
 
よく知られるように心筋梗塞は時間が勝負。
水上さんの場合は、やや遅れたために心臓の3分の2が壊死していた。
私はそれほどでもなかったが、いくらか壊死した部分がある。
心筋梗塞は三途の川を行ったり来たり。
不整脈狭心症と大変な思いをせねばならない。
私は何度も狭心症に見舞われ、最も酷い時は心臓が破裂するのではないかという激痛で、あの痛さはとても口では言い表せない。
 
血管の詰まりが三か所、三回の治療が必要となり5本の注射針が刺さったままの生活が始まった。
心臓の痛さは和らいでも、治療後は腕の痛さを絶えねばならぬ。
最近では渡哲也さんも心筋梗塞から生還されたと聞くが、それを聞くと、みな私と同じ治療、痛さを経験したんだなとつくづく思う。
 
さて水上さんだが、本書は病気発症前の北京滞在中の話から始まる。
その日、1989年6月4日、水上さん70歳、天安門事件勃発。
一行7人はホテルの窓から、戦車の出動、銃声、群衆らの動向を見ていた。
滞在ホテルが軍によって制圧されるとの情報を前に、何とか空港にたどり着き、北京脱出を話し合う7人。
 
その頃から水上さんは体調の異変に気が付いていた。
救援機で無事羽田に着き、自宅に戻って2時間後、心筋梗塞に襲われたのだが、水上さんはこんなことを言っている。
 
治癒力は、私の経験では、やがて「気」の強弱にかかわってくる。
 
人間が病気から回復していくというようなことは、羞恥心や、含羞の回復がものさしだったかもしれない。男と生まれて、勃起もしない陰茎を美人女性にもちあげられるなど、まったく恥ずかしいことの「極」だと思う。
 
そう、毛を剃られたり尿道を消毒される時に若い看護師に見られ持ち上げられる、何とも情けない状況をクリアしてこそ生還できるのだ。
しかし、もし一日早く病気を発症していたら北京で入院ということになり、事態はどうなっていたのだろうか。
治療費など外国での入院の場合はどうなのか。
帰国直後の入院は壊死の進行具合もあるが不幸中の幸いだったかもしれない。
 
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