愛に恋

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祖父東條英機「一切語るなかれ」 東條由布子

 
著者、 東條由布子とは東條英樹の孫になるわけだが、その孫が「一切語るなかれ」と言われ続けてきた禁を破ったことになるのだろうか。
これは勇気のいったことだろう。
もちろん外に向かってよりは東條家に対しての問題で、その点、心の葛藤など気になるところだ。
正確を記せば著者は結婚後、東條を離れた立場で本名は別にある。
 
まあ、そんなことはいい、問題は祖父だが、この問題を語り出したら切りがない。
思うに政治でも野球でも同じだが、現在の政策、方針が嫌だから首相、監督を交代させろ、確かに民主主義だから何を言おうと勝手だ。
しかし、現実的にはただ辞めろというだけでは意味がない。
これを会社に置き換えて考えれば分かる。
 
社長のやり方には着いて行けない。
戦略がまったくおかしい、このままでは会社はダメになる。
だから結束して退陣を迫る。
だが、現経営陣の方針こそ正しいと思う社員も相当数いる。
反対勢力としては社長を椅子の座から引きずり降ろせば事が成就するという単純なものではない。
次期社長も擁立しなければならず「安〇政治反対!」だけでは事足りない。
 
常に対案あってこその反対が現実味を帯び、単なる感情論で何でも反対ではダメなのだ。
じゃどうする、そこが大問題だ。
 
「無謀な戦争だった!」
「戦争は二度としてはいけない」
「先の戦争で310万の尊い犠牲者を出した」
 
確かにそうだ、戦争はいけない、しかし、1941年当時の世界情勢、日米交渉、国内政治などよく勉強すると事はそう簡単ではない。
戦争に踏み切った当事者の中にも反対派はいた。
戦争回避に向け努力した人たちもいるのである。
 
では、あの時点で誰がどんな方針で事に臨んだなら戦争は回避出来たのか、それを明確に答えることの出来る人がどれだけいるだろうか。
もちろん空論などは論外。
人心を纏め軍を掌握することのできる強いリーダーシップ。
東條を推薦した木戸内府の人選が正しいかどうかは別として、あの段階では文官には無理があろう。
軍、官、民と感情が沸騰点にあり、それを一戦なくして平和裏に事を運ぶ、これは余程の芸当を要すると思うがどうだろう。
軟弱外交を許せる状況ではなく、場合によってはクーデターさえ起きかねない、日本はそういう国だったのだ。
 
第四次近衛内閣はどうか、松岡に大命降下は如何、思い切って石原莞爾起用がいい、一体、誰の旗の下なら外交、政局、軍部と平和裏に事は治まったのか。
肝心なのはハルノートが提出される前でなければならない。
ハルノートを見てしまっては万事休すなのだ。
例えば、近衛総理とルーズベルト大統領の直接交渉という案も確かにあった。
結果的には水泡に帰したが、仮に実現したとしても日米開戦が回避となったかどうか分からない。
なにしろ頭痛の種は陸軍なのだ。
軍の賛成なければ事は進まない。
 
それにしても南部仏印進駐とは無謀な。
大本営政府連絡会議で進駐の方針が決定され、この目的のためには対米英戦も辞せずって、これこそが日本の命運を分けた分岐点だった。
誰もがアメリカの神経をああまで逆なでするとは思っていなかったのだろうか。
東條は遺書の中で、
 
「国内的の自らの責任は死を以って償えるものではない。、しかし、国際的の犯罪としては無罪を主張した」
 
と書いている。
また、
 
終戦直後には、東條家の大人たちには、それぞれの子供の分まで含めて一家分の青酸カリがカプセルに入れられて渡された。
 
とあるが、これはゲッペルスに倣うということになるが。
戦後、東條家に対する批判は相当なもので、筆者の5歳年下の弟は担任の女教師にこんなことを言われて泣いて帰ってきたと期している。
 
「東條君のお祖父さんは、泥棒よりももっと悪いことをした人です」
 
東條家の人は身の縮む思いで世間から隠れるように暮らしてきたが、ここに至って孫の由布子氏は敢然と立ち上がったということか。
解説で保坂正康氏は書く。
 
東條個人については、むしろ同情的であり、近代日本の矛盾が東條の背に負わされたとの感をもっている。
 
昨今、お隣の国からいろんなニュースが飛び込んでくる。
賛否両論渦巻く中、東京裁判史観に対する意見も今日様々。
どの問題にしろ、論争は絶えまなく起こり決着を見ることがない、結論は次世代に持ち越されて行くのだろう。
しかし、この問題に結論なんてあるのだろうか。
思うに、一番ほくそ笑んでいるのは誰か、常々思うところは、役者が一枚上手なルーズベルトにしてやられた感が強いのだが。
 
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