愛に恋

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文豪 松本清張

何とも重たい本だった。
小説ではなく評伝と言ったほうがいい。
構成は三作に分かれ、第一章は「行者真髄」として坪内逍遥の死と妻を巡る異説という内容になっているが、これがかなり苦労した。
坪内逍遥は肺炎が原因で死んだらしいが、この本では消極的な自殺とも書かれている。
肺炎から気管支カタルを併発して高熱、咳が酷い状態で睡眠薬を四ヶ月近く毎晩服用、最後は夜の九時過ぎ、付き添いの者を遠ざけて大量の睡眠薬を飲んだとある。
 
遊女と結婚したことを生涯気にしていようだが、死の間際、遺稿として残した書き物があり、それを河竹繁俊と山田清作という知人に託し、二人は一夜一見して翌日、逍遥夫人に返却したところ、夫人はそれを焼却してしまった。
夫人にとって都合の悪いことが書かれていたのか、今となっては謎だが実に勿体無い。
 
坪内逍遥の名声は『小説真髄』や『当世書生気質』の著作で既に定まっていたが、その逍遥が早くに筆を折り演劇や教育の分野に精を出すようになったのは、二葉亭四迷の出現が原因ではなく、天才山田美妙に圧倒されて絶望したことに由来すると書かれていた。
そのあたりの真偽は浅学の私としてはよく分からぬ。
 
第二章は「葉花星宿」、これは尾崎紅葉泉鏡花師弟の確執を書いているが、この問題は紅葉晩年に起きた問題で、明治後期、紅葉率いる硯友社の一派は文壇で一大勢力を保持していたが、それを脅かす新たな勢力が自然主義派の存在。
逍遥も大の自然主義派嫌いだったが、その新旧入れ替わりの時期に紅葉は死を迎える。その頃には鏡花の才能が師を上回り、私生活では芸者桃太郎との同居が紅葉を激怒させる。
そのあたりは芝居などでも有名な『婦系図』でよく見かける場面。
 
第三章は「正太夫の舌」、現在では忘れられた作家斉藤緑雨の評伝。
辛辣の評論家として文壇ではあまり印象が良くなかったような書かれ方をしている。
 
しかし、文芸は明治の20年代ぐらいまで遡ると私には相当難しい。
坪内逍遥、山田美妙、尾崎紅葉、斉藤緑雨等の日記、書簡類を原文で読むのは骨が折れる。
その秋水は緑雨の追悼記にこう書いている。
 
「三十七年の春寒く、北風身を切るような晩を緑雨が骸骨のようになって咳入りながら、本所の横網から有楽町まで、僅かの小遣いを相談に来たのも幾度であったろう」
 
緑雨の死は同年の四月十三日、臨終を看取った馬場胡蝶の文章によると。
 
「・・・愈々お別れだ、生きて居る間は御世話になってありがたかった。少し頼みたいことがあるから(略)」
 
一葉も緑雨も肺の病で亡くなったが、とかく怪しいこの二人、今少し長生きしたいら関係はどうなっていたのだろうか。
少なくとも緑雨は一葉に思いを馳せていたようだが、共に早い終焉が哀しい。
 
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