愛に恋

    読んだり・見たり・聴いたり!

置かれた場所で咲きなさい 渡辺和子

 
ノートルダム清心学園理事長の渡辺和子さんについては以前にも少し書いたが、残念なことに89歳で2016年12月30日に逝された。
父親は2・26事件で殺害された陸軍教育総監渡邉錠太郎大将で、事件当時大将は62歳。
 
9歳で末っ子の和子さんは、大将と床を並べて就寝するのが常で、トラックで乗りつけた反乱兵の怒号、銃声、父の死を間近で見ていた。
本書は事件のあらましや、父の無残な死に付いてはあまり詳しく語っていないが「愛情の深さと歳月は比例しない」と言っている。
確かにそうだ!
 
その後、ノートルダム清心学園理事長になるまでの経緯は知らないが、宗教家の書く本というのは、私みたいな凡夫には耳の痛いことばかりで読んでいて申し訳なくなってくる、いくつかありがたいお言葉を挙げてみたい。
 
「人生は学校、そこにおいては幸福より不幸のほうがよい教師だ」
 
なるほど、確かにそうだ!
 
こまった時に思い出され
用がすめば すぐ忘れられるぞうきん
台所のすみに小さくなり
むくいを知らず
朝も夜もよろこんで仕えるぞうきんになりたい
 
う~ん、出来ない。
ここに至るには並大抵の修練では到底辿り着けない。
 
いきどおりながらも
うつくしいわたしであろうよ
哭きながら 哭きながら
うつくしいわたしであろうよ
 
カンカンに怒っているのに美しい私であり続ける!
出来ない。
 
出会っただけでは信頼関係は結べない
「このご縁を大事にしよう」という気持ちを育てていこう
 
うん、これなら少しは実行できそうだ。
 
何もできなくてもいい
ただ笑顔でいよう
笑顔でいると不思議に何事もうまくいく
ほほえまれた相手も自分も心豊かになれるから
 
うん、本当にそうだ。
 
人は皆、愛情に飢えている。
存在を認められるだけで、人はもっと強くなれる。
 
そうだね、子供の頃は存在を認めて貰えなかったから随分寂しい思いをしたもんだ。
 
待つことで、心にゆとりができると気付いたとき
生きている「現在(いま)」は、より充実したものになる。
 
待つことで、心にゆとりができると気付いたとき?
いやぁ、せっかちな私はイライラ、カリカリ、一体、どうなってるんだ-、だからダメなんだよ。
 
時には立ち止まって休んでもいい。
再び歩き出せるかが、目標達成の分かれ道。
 
そう思うんだけど、ブログも読書も毎日欠かさずしないとどうもね。
 
「生きるべき“何故”を知っているものは、ほとんどすべての“いかに”に耐える」 ニーチェ
 
生きなければならない理由がある人は、どんなに苦しい状況の中でも、生きてゆく方法を見出せる。
 
という意味らしい。
はい、一様、三つの大病を乗り越えて来ました、しかし強く逞しく生きる目標を見出せたか、そんな胸を張って言えほどのことはありません。
 
ところで和子女史は骨粗鬆症で身長が14センチも縮んでしまったらしい。
当然、昔は出来た簡単なことも出来なくなる不甲斐なさに悩む。
しかし悩んでばかりいても一向に事態は改善されない。
 
だから不甲斐ない自分としっかり向き合い、そして仲良く生きていく。
 
たとえ肉体は衰えても精神力の鍛錬こそが必要だと言われているようだ。
最後に私が一番、考えさせられた言葉を。
 
「神は決して、あなたの力に余る試練を与えない」
いかなる悩みにも、きっと神様は、試練に耐える力と、逃げ道を備えてくださっている。
 
大病から生還した時、それが嘗て経験したことのない試練だったが、
 
「あなたの力に余る試練を与えない」
 
だったのだろうか?
 
「やはり野に置け蓮華草」というが「置かれた場所で咲きなさい」
意味はよく解るが、ただ咲いていればいいという訳ではなさそうなところに難しさがある。
 
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