愛に恋

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東京震災記 田山花袋

古本屋でよく見かける光景で、細い通路の奥に番台みたいなものがあり、そこに店主が座り、比較的高価な本は、その店主の後ろの棚に並べてあることがある。
勿論、店主に頼まないと見せて貰えず、そもそも取れない所に置いてある。
 
必ず買うとは限らない本を頼んで見せてもらうのは、やや気が引ける。
数年前、ある古本屋で本書の単行本を初めて見た時、こんな本があったんだと好奇心をそそられたが、それが今言うところの店主の後ろに鎮座奉ってあったから難儀だ。
気の弱い私は已む無くその場を立ち去ったが、以来その本のことはすっかり忘れていた。
 
関東大震災に関しては色んな人が色んなところで書いているので、今更詳しく語らないが、一冊の本として読んだのは、おそらく吉村昭さんの『関東大震災』だけだと思う。
その田山花袋の『東京震災記』を古本市で偶然見つけ、やっとありつけた。
 
何と言ってもこの本に書かれていることは、田山花袋本人が見聞したことであるからして非常に貴重なものだ。
被服廠跡地の火災は将に阿鼻叫喚の地獄で、大八車に家財道具を満載してごった返す中での火災は火災旋風を巻き起こし、多くの人が川に飛び込むが、舞う火の粉と熱さに耐えかねて多くの死者を出した。
 
その後の二度目の揺れは、この世の終りかと思うほど凄まじく、全ての交通機関がストップしたため、花袋は東京の惨状を見ておこうと歩いて各地を回るり、記憶に残る街角を頼りに、方々と見て歩くが東京一面が焼け野原になっていた。
もはや、僅かばかり残っていた江戸の名残は全て灰燼と化すしただろうと悲観している。
 
この時代までは、先の安政の大地震を経験した古老なども存命しており、昔の話しなども出てくるが、花袋はいつの日か、新しい東京がまた復活することを疑わない。
しかし、貴重な文化財や文献が失われることは残念なことだ。
また地震のどさくさに紛れて、朝鮮人殺害や甘粕事件、亀戸事件と起こったことも後世、忘れてはならないだろう。
焦土となった中に咲く不忍池の蓮の花に対して、花袋はこんなことを書いている。
 
「あの緑葉は一層緑に、あの紅白は一層紅白に、人間にはさうした艱難が不意に、避くべからずに起ったとは夢にも知らないやうに、或るものは高く、あるものは低く、ある者は開き、あるものはつぼみつつ、一面にそこに見わたされゐたではなかったか」
 
大災害の救いの場として、蓮の花を浄土のように見ている花袋。
死が目前に迫っているとは誰も思わなかった平凡な昼時だったのに。

 

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 頭部が落ちた上野公園の大仏。