学者が書く文芸批評と小説家が書く伝記小説とでは、その対象者が同じであっても硬軟の差がありすぎる。
著者川村湊さんは法政大学国際文化学部教授。
内容紹介としてはこんなように書かれている。
芥川龍之介と松村みね子(片山廣子)、堀辰雄と宗瑛(片山總子)。師と弟子、母と娘との2代にわたる“文学的”な「軽井沢の恋」のゆくえは……。
日本の近代、現代文学史において特異な閨秀作家の「謎」を探る知的冒険。
日本の近代、現代文学史において特異な閨秀作家の「謎」を探る知的冒険。
確かに興味ある内容だが読み始めてみると、これがかなり難解。
そこには非江戸的で非日本的な高原の鹿鳴館文化があったと作者も書いている。
本書では全ての舞台が軽井沢で大正13年7月22日、まず芥川が遣って来てつるや旅館に宿泊。
27日に片山廣子、總子母子も到着。
タイトルに「軽井沢の恋」などと書かれているが、芥川と片山廣子の年齢差は14歳で、芥川の方が年下、廣子は夫と死別して二人の子供がいる。
しかし芥川には「才力の上で初めて互角に格闘出来る相手に遭遇」したと捉えたらしい。
廣子の方でも芥川に友達以上の好意があったようだが、親密な関係までは発展しなかった。
「あなたは死をおもはないものはない、死の方法を考へないものはないが、どうして死ねないだらうとおっしゃいましたがわたくしたちには死なうとするはげしさが足りないのではないでせうか。はげしく死をおもへばだれにでも死ねるかとおもひます。 いろいろ考へごとをするのはつまり死の欲求がわたくしたちをやきつくすほどに強くないからだとおもひます」
總子は、またの名を宗瑛といい、21歳から26歳までの5年間、閨秀作家として創作活動を行い、いくつかの作品が雑誌に掲載され、当時は女性作家として名も知らた存在だったらしいが結婚と同時にきっぱり筆を折った。
大正末期に花開いた、ほんの少しの火花を追って、現在では全く埋もれた作家宗瑛という人を求めて描かれた緻密で難解な本。
本書購入の動機は不純なもので、大正時代にこんな美しい女性作家がいたのか、表紙を見て唖然、所謂、ジャケ買いみたいなものでして(汗
その宗瑛作の三作品も読んでみた。
『空の下に遊ぶ獣の子たち』『幻影』『荒磯』
いずれも底流に死というものを題材にした本だった。