愛に恋

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猫がいなけりゃ息もできない 村上由佳

 
ペットロスという言葉を知ったのは比較的最近のことで、あれは何と言う名だったか、昔、付き合っていた彼女が飼っていた犬だが、「もし死んだら私、どうしようどうしよう」と何度となく繰り返し聞いたものだ。
それ程までに情が移ると、或いはペットの死後、心療内科に罹るケースもあるらしい。
何故、そこまでペットにのめり込むのか?
著者は、ある知人からこのような事を言われたらしい。
 
人がペットを可愛がるのは、永遠に子供ども扱いできるからなんだな。人間の子どもは、成長とともに言葉を覚えて、親とは別の人格を獲得していずれは離れていく。親にとってはそれは喜びであり寂しさでもあるんだけど、ペットはずっと、こっちの言うことを聞く子どものまんまでいてくれるもんな。やっぱり犬猫を可愛がるのと、人間の子どもを育てるのとは全然違うよ。
 
私自身はどうかと言うと、ミドリガメとハムスター以外は飼ったことがない。
子供の頃、ミドリガメが死んでは泣き腫らし父を煩わしたことが度々あった。
しかし、犬猫は飼ったことがない。
理由ははっきりしている、我が家にはいきものがかりが居ない!
まあ、冗談はさておき、どちらかというと私は犬派なのだが、縁あって二度までも野良猫を半飼いしたことがある。
というか1匹は名古屋時代の経験で、ベランダ超しに現れた猫に餌をやったのが縁となり、それ以来、まあ理想の飼い主に会ったが如く、私になつくこと尋常ならざるものありとでもいうか、頻繁に現れては家に上がり込み泊まっていく。
私も憎からず思っているので、次第に情愛が芽生え、後に引けなくなって来た。
管理人に聞くと、以前は何処かで飼われていた猫でミーシャと呼ばれていたらしい。
 
しかし、数か月後、いつもの通り部屋にやって来たはいいが、急に咳き込み、何やら緑色の液体を吐き出す。
これは捨て措けぬと思ったが、こちらは仕事がある身、止むを得ず部屋中にタオル、新聞を引いて、どこで嘔吐してもいい状態にして出勤すること1週間。
病院へ連れて行き回復を願ったが、死期を悟ったのか部屋を出て行こうとするのを強引に引き留め、我が家で最期を看取った。
冬の寒い中、近くの公園に葬り寂しい思いもしたが、さすがにペットロスにはならなかった。
 
それが30数年前のことで、あんなことはもう二度とあるまいと思っていたが、果たしてどうだ。ちょうど1年前の11月、現在私が住むマンションは1階なのだが、ベランダまで約1メートルの高さがある。
ある日、寝転びながら読書をしていると私の視界に何やら動く物体が入った。
振り向くと何と、猫が二匹、餌を求めて無断侵入しているではないか。
どうやら二匹は親子らしく、親猫は如何にも挑戦的で「餌は無いのか」と言わんばかり。
以来、頻繁に現れては餌をねだり、こちらも機嫌を取るように餌を買ってきては与えたが、餌が少ないと言ってはバスマットを持ち去る、スリッパを咥えて逃げるだのと手古摺らせ、挙句は噛むは引っ搔くはで、いくら餌を与えても、狂暴さはその犬歯に現れ、シャーと唸るばかり。
暫くは犬猿の仲で、もう勝手にしろと餌だけ置いて知らぬ存ぜぬを決め込んだのが功を奏したのか、1年過ぎた現在は飼い慣らしに成功、休憩、宿泊、食事完備でこの通り。
 

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 ウン、ガァァァ・・・!
その名も「二代目J Soul MISIAいやいや、単なるミーシャです。
といっても放し飼いなので、下の世話もなく、極めて両者の仲は良好、訪問は3日に1回ぐらいが適当と考えるがミーシャの御意見を伺いたい。
 
とまあ、個人的な話になってしまったが、村山さんによると猫の額から睡眠誘導物質を放出しているとあるが本当だろうか。
つまり、それに依って人間も眠くなるそうだ。
本書に登場する猫は5匹、主役は17歳のもみじだが、現在、村山さんは軽井沢に住んでいる。
以前はスタジオとして使っていたという、とんでもない広さの住居で、ここで暮らす猫たちにとっては天国ではなかろうか。
なにしろ家の中で散歩が出来る!
引っ越しするにあたって4トンロングのトラック、3台とあるから個人としては凄い量だ。
 
先にも述べたが猫を飼ったことのない私は、彼らの年齢換算方法が分からない、しかし、全く意外な計算方法だった。
最初の1年で約18歳ほどになる、その後は年に4歳ずつ年齢を重ねる、そうすると、もみじの年齢は82歳ぐらいになるらしい。
かなりお年を召している。
 
その高齢のもみじを襲った病気が扁平上皮癌と聞き慣れない病で手術すること12回、必死の願いも虚しく旅立ったという。
それは単なるペットではなく、この世に於ける最愛パートナーのような存在で、読むほどに村山さんの深い慟哭が伝わってくる。
ここまで愛される猫も幸せだが、だからこそもう二度とペットは飼わないという人も知っている。
愛すれど切なく断腸の思いで、その別れが堪え難い。
 
我が二代目ミーシャは先にも述べたように、ベランダまでの1メートルを飛び越えて来なければならない。
彼女が現在いくつなのか知らないが、いつか体力が衰えた時、必ず、この1メートルを飛ぶことが出来なくなる、その時、私はどうしたらいいのか考えることがある。
 
遺された者を苦しめるのは思い出。
もう二度と、相まみえることのない毎日。
孤独に帰ることの不安。
情の深まりが将来、哀しみとなって帰って来る。
考えまい、村山さんの深い悲しみを読み知っても今は考えまい。
ともあれ、村山由佳という人に興味があったので、本書を通じて彼女の情というものの一端を伺い得た。
 
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