本書の単行本を数か月前に古書店で見つけ、面白そうだが文庫は出ていないのかとAmazonで検索するに、やはり昭和58年に文庫化されていたので、その文庫と巡り合うまでは暫くお預けと思っていたが、意外と早く古書市で対面となり、何やら難しそうだが、まあ、へたばることはあるまいと購入ましたでは良かったが、いざ、読み始めてみると、これが煩雑で分かったような解らないような。
凡そ、福永武彦の作品を読むのは40年ぶり『草の花』以来となるが、この間、いつ亡くなったのかも知らなかった。
つまり異作ということで「筑摩書房版」、雑誌「むらさき版」「新潮版」と定稿以前の形態を読み解き、辰雄が上條松吉を養父と認識していたかどうかが焦点になっている。
実父堀浜之助、妻こうの間には子供が無く、辰雄は浜之助と町屋の娘西村志気の間に出来た子供で、辰雄は堀家の嫡男として届けられる。
しかし2年後、志気は辰雄を連れて堀家を去り、辰雄4歳の時に上條松吉に嫁ぐ。
果たして福永の追求する、辰雄が成人するに至って、上條松吉が実父ではなく養父だということを認識していたかどうかという問題になるのだが。
ところで福永は、本書を書くにあたって戦後33年も経っているのに漢字など戦後の新漢字に改めていない。
戦前の旧漢字そのままに書いているが、これは一種の拘りからきているのだろうか。
別に読めないわけではないので一向差支えないが、どうしたことか。
まあいい、そもそもの問題定義は昭和3年頃に「驢馬」の同人たちが、堀が父と呼ぶ人を、実父ではないことを知っていた、という証言から始まる。
しかし福永は「驢馬」会員の集団錯覚だと言い切っている。
本書は、その論拠となる引用を長々と証拠立てているわけで『幼年時代』の三つのテキストの相違を掘り下げ披露していくが、私自身、それほど理解できたわけではない。
だが、この労作を書き立てた手腕には敬意を払いたい。
ともあれ、辰雄が養父と共に住むようになったのは4歳の時で、記憶としては微妙な時期だ。
実母は関東大震災で亡くなり、養父が死去した折り、叔母から真実を聞いたとされているが、繰り返しになるが、本書が問題としているのは、辰雄がそれ以前から事実を知っていたかどうか?
福永は記憶の曖昧さについてこう述べている。
一体、小説といふのは作者の主観の中で現実を再創造したものだから、いかに過去の事実そのものを描いてもそれが事実の正確な再現であるとは限らない。時の流れは春の武蔵野に見られる逃げ水のやうに過去の事実をゆらめかせ、次第に真実を遠ざけ、遂にはゆらめく像そのもののうちにかへって内的な真実がある場合をも生じよう。