最近まで知らなかったが、著者、ユリウス・フチークという人はチェコでは英雄的な存在だとか。
本書も世界80カ国で翻訳され版を重ねる名著らしいが、嘗て一度もチェコ文学に接したことのない私は、重い腰を上げ読破に向け挑戦したはいいが、あまりの訳注の多さと無数の登場人物に難儀すること甚だしく、人名すらはっきり発音出来ない。
それでも苦心惨憺してやっと読了。
舞台は1942年4月24日のプラハから始まる。
余談だが小林多喜二の著書『一九二八年三月十五日』を読むと、多喜二が受けた凄惨な拷問の詳細が書かれているが、ユリウス・フチークの場合はそこまで事細かく書かれているわけではない。
がしかし、ゲシュタポに逮捕されるということが何を意味するかよく知っていたはず。
彼は逮捕直前、所持していたピストルで自殺することも可能だったが、一緒に逮捕された同士のことを慮り敢えて自決を思い留まった。
本書は凄まじい拷問を耐え忍び、幸いにも看守として雇われていたチェコ人から密かに紙と鉛筆を貰い、獄中少しずつ書き溜めていたものを、看守が獄外に持ち出し、生き延びたフチークの妻が収集出版したものだとか。
所謂「ヴァルキューレー作戦」が失敗して逮捕された高級軍人たち。
首謀者として最高位にあったエルヴィン・フォン・ヴィッツレーベン元帥の公判模様が今日、映像とし残っているが、ゲシュタポの激しい拷問の末、他の7人の同士と共に屠殺されるような残忍な方法で処刑されたが、ゲシュタポの恐ろしさを物語っている。
ユリウス・フチークが処刑されたのは1943年9月8日。
記録によると絞首刑ではなく斬首刑となっているが、その理由は分からない。
ともあれ、ナチ占領下にあって抵抗運動に挺身し、家族がある身で危険この上ない反ナチズム思想にかぶれる。
同士が次々と逮捕処刑されていく中で私なら出来るだろうか?
自分が逮捕されれば妻も逮捕される、到底出来ない。
ユリウス・フチーク、覚えておこう。