愛に恋

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川端康成・隠された真実 三枝康高

 
10年ほど前だったか、どういう経緯か忘れたが『事故のてんまつ』という本があるのを知った。
著者は『安曇野』で有名な臼井吉見川端康成の自殺を扱った小説だと聞いて、俄然、古本屋巡りを始め、パソコンを持ってなかった分、足で稼ぐように探した割には比較的容易く見つかったので安堵。
初出は昭和52年5月だが読む前に少し記憶を辿ってみた。
確か自殺の原因として、お手伝いさんがどうのということではなかったかと、週刊誌か何かで読んだ気がするのだが果たしてどうか。
 
川端家に住み込みで働くことになった鹿沢縫子なる少女が、1年ほど勤めた後に郷里の信州へ帰った翌日、自殺したことになっている。
そもそも川端家には縫子の他に2人の家政婦が居たが、川端は縫子を異常に可愛がり、帰郷を言い出した時には残留を希望し、願いも虚しく里帰りした縫子を思ってか、死の旅路を急いだようだ。
いやしかし、そんなことがあり得るだろうか。
作家の自死に関しては芥川、太宰、三島と無数の本が出ているが、どうした訳か川端に関する本は少ないように思う。
どう転んでも不可解な自殺だと思うのだが。
 
だが、『事故のてんまつ』は川端家から提訴され臼井側が敗訴、損害賠償を認める判決も下り、その後、本書は絶版になっているので、その辺りを警戒して、川端関連の本は書かれなくなってしまったのだろうか。
 
話が逸れるが川端家が執権北条氏の末裔ということを知っているだろうか。
三代泰時の直系だが、八代高時の時代に建武の新政で北条氏は滅亡、川端家は武門を捨て大阪茨木の地に落ち延び、如意寺を再興して寺の坊官になったという由緒ある家柄。
だが、康成は孤児として育ち恵まれない環境で詳細を見るに、
 
父栄吉 明治34年1月17日死去 32歳 康成生後1年半
母ゲン   35年1月10日死去 37歳
祖母カネ  39年9月9日死去   66歳
姉芳子   42年7月21日死去 13歳
祖父三八郎 大正3年5月15日死去 73歳
 
残されたのは、尾羽うち枯らした境涯で白内障を患い寝たきり状態の祖父三八郎だけだった。
それを見かねて母ゲンの異母姉、おそのが世話に来たとあるが、ともあれ康成は毎日一里半の道のりを登校していたというから昔の子供は本当に凄い。
一里半といえばアナタ、6キロですよ6キロ!
因みに川端は月足らずの7か月で生まれたが、こうして足腰を鍛え健康を取り戻したのか。
一方、川端はこんなことも書いている。
 
家に女気がなかったため性的に病的なところがあったかもしれない僕は、幼い時から淫放な妄想に遊んでゐた。
 
分からぬわけではないが、川端に関する性の問題というのは初めて読んだような気がするの。
さて、本書が取り上げる問題の女性、つまり初恋の人、伊藤初代についてだが、川端本人が書くところによると、23歳の学生だった大正10年、初代は16歳、出会いは真砂町の通り、壱岐坂より手前のカフェ・エランとある。
 
この店は芸術家が多く通うカフェとして有名で、平山実なる人物が、吉原で娼妓をしていた山田ますを見受けし、株屋の小林武次郎に出資させて華々しく開店、川端がエランに現れたのは大正8年、マダム山田ますは当時33歳の女盛りで或る人の証言によると、
 
「其のうちマダムの親戚にあたる小娘を連れて来てウェートレスにした」
 
これが伊藤初代と川端康成
 

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ところが、バツイチのマダム、山田ますが思い焦がれた客の男が、10歳程年下の東大法学部の福山澄男なる学生。
卒業後は台湾銀行に就職する予定で、マダムも店を畳む決意、取り敢えずマダムの郷里岐阜に帰り、姉の嫁ぎ先である西芳寺に旅装を解き今後のことを話し合い、初代を寺に残す、それを知った川端は大阪の親戚を訪ねた折、岐阜まで足を延ばし初代との結婚話を進める。
 
しかし、先立つ金がない。
仕方なく親戚に金の無心。
大正10年9月30日の消印では。
 
「一身上の重大なことで、来月四、五日迄に五十円ほど入ります」
 
と、書き送っているが、先方からは意に反して、場合によっては金銭的援助を打ち切るという通告。
 
 
10月25日消印。
 
「仰せ一々御尤もとは存じますが、私自身もそうだと思ひますが、いまさら理性で動かし難く思っておりますから、致方ありません」
 
「十月友人と二人で娘のゐるお寺に行って娘にそのことを話し、娘が承知しました」
 
「この約束にはどうあっても男として責任を持ちます。今年中待って下さい」
 
埒が明かないと思った川端は菊池寛を訪ね、委細を話、菊池の援助を受ける。
時に川端23歳、菊池33歳。
同時に新思潮第六次の同人誌発行の許可も得る。
因みに菊池、芥川、久米、山本有三らは第三次。
横光利一と菊池の家で運命的に出会ったのは11月6日。
しかし、結婚の約束からわずか1カ月後、岐阜にいた初代から川端に、
 
「突然、非常なことが起こって、あなたと一緒になることはできない。今後お目にかかることはできない」
 
というような手紙が来る。
  
「私は今、あなた様におことわり致したいことがあるのです。私はあなた様と固いお約束を致しましたが、私にはある非常があるのです。それをどうしてもあなた様にお話しすることが出来ません。私今このようなことを申し上げればふしぎにお思いになるでしょう。あなた様はその非常を話してくれとおっしゃるでしょう。その非常を話すくらいなら、私は死んだ方がどんなに幸福でしょう。(中略)お別れいたします。さようなら」
 
何が非常なのか分からないが、川端が翻意を促しても変わることはなかった。
それら一連のことは初期の作品『篝火』『非常』『霰』『南方の火』または川端日記に書かれているそうだが、どうもよく分からない。
川端の『16歳の日記』というのはよく知られているが、成人してからの日記は調べても出てこない、どういうことだ!
著者は、その後の初代の消息も追っているが、あまり書きすぎても蛇足になるので止めるが、川端日記に於いても震災以後、初代のことは書かれていないらしい。
また『事故のてんまつ』に関しては内容を批判している。
 
『篝火』『非常』『霰』『南方の火』
 
これらの作品は全集じゃなければ読めないだろう。
読む機会があるかな?
余談だが、当時、川端が好きだったアメリカの女優はアニタ・スチュアート、まったく知らない人だが、初恋の人、伊藤初代はアニタのイメージを、そのままを受け継いだ少女だったとあるが、似てるか? 
 

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