愛に恋

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フリーダ・カーロ 引き裂かれた自画像 堀尾真紀子

フリーダ・カーロとはラテン・アメリカで最初にルーブルの殿堂入りを果たした画家らしい。
彼女のあまりに壮絶な人生は数ある美術絵画史の悲喜劇を超越して余りある。
本書は20年以上前に書かれたものだが通読した感想は一言で「痛い」に尽きる。
 
デートの最中、乗車していたバスが電車と衝突、バスの手すりが腰のあたりに突き刺さり、脊椎と骨盤がそれぞれ3ヶ所、右脚も12ヵ所骨折、腹部から子宮にかけて鉄パイプが貫通、何とか一命は取り留めたが想像しただけでも身震いがする大怪我。
 
それ以前、6歳の時に小児麻痺を発病し右足に後遺症が残っていた。
それに追い討ちをかけるような運命の悪戯で、彼女は生まれながらにして愛に対する渇望は凄まじく、飢餓感からの恐れか激情型の人生を送ったように読み取れた。
恋人に対する執着心は到底並のものとは思えぬ激しさで、とてもじゃないが私などは近づくのも怖い。
 
フリーダが育った時期はちょうどメキシコ革命の最中で、映画などでも有名な英雄パンチョ・ビリャが活躍した時代。
絵画に興味を持ち始めていたフリーダは巨匠ディエゴ・リベラと結婚したことによって画風を完成していったようだが、しかしフリーダの絵は激しい痛みを伴わせるようでどうも馴染めない。
 
その殆んどが肖像画で、そこには決して満たされることのない不気味な飢えのようなものを感じる。
度重なる手術と夫の浮気。
中でも実の妹相手の浮気に狂乱したフリーダは自身も性に対する奔放な生活を歩み出し、衝動的な感性に誘われるたかイサム・ノグチに急接近。
 
驚きはスターリンとの闘争に敗れて亡命生活を余儀なくされていたトロツキーとの恋愛だが、夫の働きもあってメキシコ政府は正式にトロツキー夫妻の亡命を受け入れ、ディエゴ夫妻の家に住むが、ただでさえ暗殺の危険に脅かされている中、トロツキー派の忠告により、この危険な不倫は終局を迎えるが、トロツキーが暗殺された時、フリーダはどのようにこのニュースを聞いたのだろうか。
 
著者堀尾真紀子という人の1991年当時の肩書きは文化女子大学教授となっているが美術工芸家とでも言ったらいいのか個展も数多く開いている。
何よりも美術評論の巧みさと観察表現がいい。
 
「ノグチとフリーダは、この世のすべては絶えず変わりゆく流れのうちにあり、それ故に一瞬一瞬に自己を燃焼させようという生きる姿勢においても一致していた」
 
なるほどね、ではなぜ二人は別れてしまったのか?
 
イサム・ノグチの作品にはE = mc2」刻みこまれているらしいが、これはアインシュタイン特殊相対性理論で、
 
「われわれは常に変化の流れの中にある。これはアインシュタイン流の相対性理論に近い考えだ。すべてが瞬く間に過ぎ去ってゆく。ただできるのは、過ぎ去ってゆく瞬間、瞬間の物体をとらえ、これこそ真実だと主張することだ」
 
というのがイサム・ノグチ理論らしい。
1954年7月13日、フリーダはその波乱の人生に幕を閉じたが、ある美術史家はフリーダの絵をこう分析している。
 
「ダリのように技巧に満ちた騙し絵、つまり無意識的で完全に意味不明の神秘的作品とは正反対の作品だと思います」