愛に恋

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昭和の記憶―写真家が捉えた東京

 
 
 
戦前から高度成長期あたりの、まだ貧しかった懐かしい日本の姿を捉えた写真集で木村伊兵衛さんや土門拳さんらが写した生きる逞しさをカット切りしたような作品。
上の写真は当時の子供たちに人気のあったチャンバラごっこ、この時代、正義の味方は鞍馬天狗で悪者が近藤率いる新撰組と相場は決まっていもので、さしずめ前列右手の少年が鞍馬天狗
左手の親分格が近藤、それをとりまく低学年が新撰組隊士というところでしょうか。
私も御多分に漏れずチャンバラごっこが好きでしたが、いつも役回りは悪役の手下。
姫をさらい逃げるところに若殿が現れ無惨にも斬られるという冴えない役。
 
戦前のことは分かりませんが昭和12年当時の車はフォードとシヴォレーばかりみたいで、銀座や浅草にはモボ、モガが多く、クリスマスを祝う習慣も既に昭和10年ぐらいからあったそうです。
男性の帽子は夏はパナマ帽、冬はソフト帽が定番で鳥打帽は大店の店員ということらしい。
 
しかし昭和12年になると様相は一変。
「国民精神総動員」「大日本婦人会」「隣組」「千人針」「バケツリレー」「防空演習」、戦後は「焼け跡」「闇市」「配給」「進駐軍」「戦災孤児」「傷痍軍人」、そして軍人軍属、約353万人の復員。
住居が少ないので次々と川は埋め立てられ海も陸地と変わり日本は大きく環境も風土も様変わり。
 
「もはや戦後ではない」と言われたが、しかし多くの人が言うように高度成長と引き換えに何か貴重なものを、永久に取り戻すことが出来ないものを失ってしまったような。
池田総理、どう思われますか?
昭和27年、庶民の行楽地といえば上野動物園
テレビが登場した時代、大学卒の初任給が12000円。
それに対してテレビは何と80000円。
 
で、私達子供は何をやっていたか、まだまだ車が少ない時代、路地や空き地が遊び場。
使われず放置された軍需工場や大工場の空き地もふんだんにあり、女の子はゴム飛びや綾取り、男の子はベーゴマ、メンコ、ビー玉、馬跳び、ロウセキ、虫取りと夏は真っ黒で、遊び疲れると10円玉を握りしめ駄菓子屋へ。
 
しかし最近、洟垂れ小僧を見なくなったが、これも洗練されてきた証拠でしょうか。
写真集は、あの日あの時、もう帰らないその一瞬が永遠に凝固されたものなんですね。
 
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