愛に恋

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子供より古書が大事と思いたい 鹿島茂

 
殆どタイトルに誤魔化されたといっていい。
一見、読み易そうで簡単な文句。
 
「子供より古書が大事だと思いたい」
 
著者の略歴を見ると東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。
専門は19世紀フランスの社会と小説。
博士課程どころか白紙課程終了の私には舐めて懸かりすぎた。
しかし冒頭、面白い記事を読んだ。
元、GSの一員として活躍した関西弁のタレントが妻に三下り半を突き付けられた。
情報番組の司会などで荒稼ぎ、その稼いだ金で豪邸や車を買うのではなく蔵書につぎ込んだ挙句の離婚。
 
GSの一員とは岸部四朗だが話しを聞いているうちにある違和感を覚えた。
彼が言うには「本に囲まれた環境っていいな」という話だったが本というのは、ただ買って飾っておけばいいというものではないがいったいどういうことだろうか。
 
ところで著者の蔵書狂というのも私とはかなり違った世界。
ケチの極みのような何百円でなるべくコンディションのいい本などと言うリサイクル趣味の私とは比ぶべきもなく、巧みなフランス語を駆使して本場フランスまで行き競りは勿論、19世紀の稀覯本の何たるかを事細かに説明するなど門外漢の私にはチンプンカンプン。
 
そこにいくと私なんか単なる付け刃。
薄~いメッキでの誤魔化しは通用しない世界。
古書世界の奥行の深さは何たることよ。
一見、楽しそうな世界だが悩みがないこともない。
 
「愛書趣味というのは、ことほどさように、だれからも理解されず、健全な世間の常識から疎まれ蔑まれ、家族からは強い迫害を受ける病なのだが、この病気の特徴は病人がいささかも治りたがっていないところに特徴がある」
 
「さらに、この病は財政的に完全にお手上げになって、もうこれ以上は一冊も買えないところまで行き着かないと、治癒の見通しがつかないという点で麻薬中毒やアル中などの依存症にも一脈通じる」
 
鹿島さんは「洋古書地獄」と言っている。
19世紀の豪華本は表紙に動物の皮などが装丁されているので金額も桁は外れ。
ロッコ皮や子牛皮の表紙などと言っても分からないのだが、こんな世界に踏み込んだら最後、まず抜け出せない。
何か解決の妙案はあるのだろうか。
 
・例えば妻も同じ趣味を持っている。(余計に出費が多くなる)
・妻の理解力も度を越している。
・とことんまで行って痛い目に遭う。
(現時点で銀行やローン会社から自宅を抵当に入れて借りた多額な借金がある)
・あとは破産宣告を待つのみ。
 
ではなぜ一般常識も地位も教養もある大学教授がここまでに至ったのか。
簡単に言えば物書きとして資料収集の無限地獄に陥ったとある。
そこまでして書き上げた本が、これまた売れない。
印税は5分の一から10分の一程度。
 
これでは家でテレビでも見ていた方がよっぽどマシだと思うがそこは探求心。
憐れむと言っては失礼だが著者が岸部四朗に興味を持ったように私も鹿島さんに興味を持つ。
 
 
また著者が言っているように、
 
「ここ20年ほどの間に発行された本は探索が非常に難しい」
 
つまり所有者が死んでもそのままに世に出されるということが少ないからだという。
だから一度店頭から消えたら最後、二度と手に入れることはできない。
 
「新刊だから、まだいいかという思考が一番いけないので、新刊本だからこそ見つけたときに直ぐ買う」
 
これは私がいつも言っている説と同じだ。
しかし、読書は無限地獄、果てのない世界だけに恨めしい。
 
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