愛に恋

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八疊記 里見 弴

 
毎年、今頃、といふのは、いま現に庄策が筆を執ってゐる十二月の上旬を指すのだが、今頃になると、高島易斷、九運暦の讀賣りといふのが、横町の辻に、路地の裏に、きまって爺むさい皺枯聲をふり絞り、不器用な節などつけて、
 
「え~、子の年は、・・・干支頭から順に申しあげます、・・・子も年は、細かなことに氣がついて、無駄使ひせず掃除好きなり。苦労のなかで貯めた金、色で失ひ、え~、色で失ひ人に倒され。お次、え~丑年は・・・」
 
などと、よしんば歳尾(くれ)の才覚に惱んでゐる最中でも、ひょいと迯(そら)されて、年中行事のもつ一種特別な懐古的情緒に胸の、柔ぎ溫まる心地もされたものだが、舊曆廢止で、今年からはそれも待たれなくなった。鳥の聲、蟲の音、呼び賣り、いつの間にか、だんだんと町なかから消えて行ったなかに、この、暦の讀賣りの聞かれなくなったことは、庄策にとってちょっとした感慨だった。
 
今日、里見 弴が読まれなくなった理由は、この話しのネタの古さにあるのかも知れない。
現在、里見 弴を読もうとするなら岩波か講談社文芸文庫ぐらいだろうか。
本書は昭和17年7月発行の初版本で五千部発行とあるが、してみると今では現存部数も少なかろうに。
 
巻末に里見 弴著作年表としてかなりの作品が掲載されているが、ご丁寧に、この本を買われた方は自分が読んだと思われる本に番号振って書き残している。
15冊を読んだ計算になるが、一体、この本の所有者は誰だったのだろうか。
既に故人となっておられると思うが、それにしても古本流転の運命。
巡りめぐって私の下に。
 
内容は十編からなる短編集。
 
「長屋総出」田舎からの電報の翌日、女中が気がおかしくなり失踪する。
「向日葵」長男が徴兵で兵役に就く、隊内で向日葵的な存在になれ。
 
など、可もなく不可もない作品だが「五分の魂」という小品はなかなか面白かった。
 
東京から来て田舎の宿に逗留している物書きが宿の主人と翌日早朝に鱒釣りに行く話しだが、どうしたことか、エサ用に捕ってきておいた蝦(エビ)が、誰かの仕業で生簀の底穴の蓋を外され逃がされてしまった。
犯人は主人の次男、一緒に行きたいと言うのを朝が早いからと無理に寝かし付けたことに反感を持った挙句の悪戯だった。
責任を感じた少年は一人、池で蝦を取っているところを、その物書きに見つかり、全てを悟った主人公の感慨を纏めたものだが、全作品中、一番の出来だろう。
 

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