バナナ 獅子文六

 
筑摩書房復刊の獅子文六作品をかなり読んできたが、当初はお手軽な娯楽小説みたいなものと、軽く受け流しを決め込んでいたのだがさすがに明治人、語彙力があり思考にしても表現力にうま味がある。
明治大学斎藤孝先生が「語彙力こそ教養である」と言う通り私も異存はない。
 
彼も、立派な体格を持ちながら、雄としての力は、案外弱く、人には言えない悲しみも、時には味わってるので、何かに縋りつきたい気持ちがないでもない。中年以後の男性に訴える売薬の広告は、残らず、眼を通している。だが、テルミのような女と冗談を言ってると、有効な錠剤を二つ三つ服用したような気分が、湧かないこともない。
 
クラブに通い、馴染みの女を物にしようとするわけではないが、ただ、横に座っているだけで多少は功を奏すると言っているわけで。
 
シャンソンの感傷性は、若い女には味わえない深い満足を、彼女に与えてくれた。それは、過ぎた青春を顧みさせるばかりでなく、高価なハチミツ剤のような、若返り作用もあることも、教えてくれたのである。その証拠に、胸がウキウキして、血が暖かくなったような気持ちがする。まるで、昔好きだった男に、街頭で巡り合って、挨拶しただけで別れたのを、良人に言わずに、日記に書いた晩ででもあるかのように。
 
良人に言わずに、日記に書いた晩ででもあるかのように、上手いこと言うね!
戦後、文六作品は書く後から次々に映画化され昭和30年代は売れっ子作家だったのだろう。
それもこれも才能故の話だが、作家というものは斯くも本を読むものかというほど文六も読書家だったのか。
しかし、文豪は本当に偉いものだと思う。
鴎外、露伴漱石荷風、志賀、谷崎、芥川と、ほとほと舌を巻く名文を残したが、私などはいくら読む量を重ねても、精々、彼らのカバン持ち、いや、そのカバン持ちの付き人ぐらいが関の山。
 
その文豪(五)の一段下、それが文六なんですね、翠帳紅閨なんていう言葉が出てきましたが、「すいちょうこうけい」と読みます。
高貴な人が寝るベッドのことですが楊貴妃が使用していたそうで。
さて、文六先生のお手並みはこんなところにも。
 
しかし、そうと気がついても、彼には、あまり嫉妬心が湧かないのである。第一、彼は妻を信用していた。彼女の浮気の虫は、相当飼い慣らされていると、知っているからである。ムヤミに暴れ出すほど、野生を帯びていない。彼女の自尊心とか、見栄とかいう手綱が、浮気の虫の首に、結びつけられている。今までも、虫のうごめきは何度も、形跡があったが、いつも、無事で終わっているのである。
 
上手い表現だが、どうも文六先生は句読点が多いが、これは癖か。
本書は昭和34年2月19日から9月11日まで朝日新聞に連載されたもので戦中戦後の話もよく出てくるが、私はそんな時代のことが結構好きで何だかんだと言いながら結構、文六作品を読んでしまった。
ストーリーは解説のものを載せておくが、文六先生との付き合いも、そろそろ終わりにするか。
 
お金持ちの台湾華僑の息子、龍馬は車が欲しい大学生、そのガールフレンド、サキ子はシャンソン歌手としてデビューしたいが、青果仲買人の父の許しが得られない。そんな二人の夢を叶えるのはバナナ?ひょんなことからバナナの輸入で金儲けをすることになったのだが、そこへ周囲の思惑が絡み、物語は意外な方向へ!テンポの良い展開に目が離せないドタバタ青春物語。
 

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