居眠り狂志郎の遅読の薦め

未だ休読日に至らず

島田清次郎 誰にも愛されなかった男 風野春樹

 
島田清次郎という小説家をいつ、どのように知ったのか全く覚えがないが昭和37年に直木賞を受賞した杉森久英氏の『天才と狂人の間』という伝記小説を古本屋で探し出して以来の対面となる。
今日、島清こと島田清次郎の名を知る人は少なく、その作品を探すのさえ容易なことではない。
 
忘れ去られた作家となったが大正時代には、彼の名を知らぬ者はないというほど文名は高まり、天才児現るとマスコミも大々的に囃し立て、若干20歳にして発売された『地上』は大ベストセラーとなった。
石川県生まれで父を幼くして事故で亡くし、母と二人、極貧のうちに育った清次郎の家を訪ねた友人はこのように書き残している。
 
「家というのは名ばかりで、どこかの養鶏場の一隅に在る納屋に畳を敷いたもので、鶏が勝手に出入りをし鶏舎も同様で、世にこれほどひどい貧乏もあるものかと感じ入ったものだ」
 
その清次郎が大正八年六月『地上』を発表したまではいいが、如何せん性格に問題があった。
文壇ではこれを絶賛する者と稚拙だと批判するグループに分かれたが総じて世の若者は熱狂的に清次郎を迎え入れた。
天才を持って憚らない清次郎は居並ぶ諸先輩を全て「君」呼ばわりし、傲岸不遜と叩かれながらも何ら反省することなく、まるで専制君主のような振る舞いに友人は元より次第に出版社からも敬遠される存在になっていく。
 
女性に関しては典型的なDVで、陸軍少将の令嬢誘拐が裁判沙汰に発展し、それを機に世は一斉に清次郎バッシングと傾く。
一切の仕事を絶たれ、貧困ここに極まる中、彼は次第に発狂していく。
誇大妄想癖のある清次郎を世間はこのように皮肉った。
 
「求処女、マゾヒズムに耐うる処女、当方天才、月収二万八千円、外印税年二百万円、欧米文豪全部友人、島田清次郎
 
大正13年7月30日未明、不審人物として警察に連行された清次郎は、取り調べの結果、精神に異常ありとして巣鴨の「保養院」に強制入院となる。
病名は早発性痴呆、現在でいう統合失調症らしい。
 
「まるで破滅型のロックスターのような振れ幅の大きい人生」
 
と、精神科医の作者は言っている。
島田清次郎は20歳でデビュー、25歳で精神病院送り、31歳で肺尖カタルで世を去った。
友人曰く、
 
「要するに彼は誰にも愛されない男だった」
 
生前の池田満寿夫は確かこんなことを言っていた。
 
ゴッホは確かに天才だと思うが友達として付き合うのはどうかなと思う」
 
確かに、これは清次郎にも言えることだろう。
人を喰ったような態度が災いし、出版を拒否され、転落していく様を見ていると、自業自得とも取れるが、流石に精神に異常を来たしたともなれば第三者としては同情を禁じ得ない。
 
病院には6年程居たらしいが、ひたすら再起を信じて退院願望が強く最晩年に至るも死の予感が全くない。
今回、表紙として使われた清次郎の写真は大正10年頃、鵠沼で撮られたものらしい。
文壇史では極めて異質なタイプで当時の人は大いに迷惑を被ったと思うが、写真を凝視するほどに哀れさを誘ってならない。
 

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