居眠り狂志郎の遅読の薦め

未だ休読日に至らず

フラニーとズーイ J.D.サリンジャー

おはようございます、一週間のご無沙汰でした。

約束どおり本日から再開いたしますので宜しくお願い致します。

 

 
何だか解ったような解らないようなという言葉をよく日本人は使うが、この小説はそういうたぐいの表現は適当ではない。
解らないながらもさっぱり解らない!
フラニーとズーイ」とは妹フラニーと兄ズーイという意味だが「フラニー」の章での会話は、譬えて言うならレストランで隣に座る若い男女の話しを聞くとはなしに聞いているような、全く読み手のこちらに関心のない無味乾燥な話しが展開される。
 
それほどに興味を失う私の身にもなってみろと言いたくなるような娯楽のない本で、頻りに料理を口に運びながら特段、話しに引き付けられるわけでもなく聞いているズーイと食事には手を付けずタバコばかりを吹かし持参した宗教の本を熱を帯びながら語るフラニー。
その展開に何の感想も挟めない、読者を砂漠に招待するよ味気なさ。
 
フェデリコ・フェリーニの作品に『8 1/2』という映画があるが私にとってこの映画ほど忘れられないものもない。
感動したからではない、理解不能という点で人に説明が出来ないからだ。
理解不能とは即ち集中力を欠く、何を云わんとしているのか皆目見当がつかない。
 
それに匹敵するのがこの小説。
ここで内容を書いても仕方ないではなく書けない。
ストーリーが把握できない。
そもそも読後感に乏しく作中では何も起こらない。
サリンジャーがどういう意図でこの作品を手がけたのか。
翻訳者の村上春樹はなぜこの本を気に入っているのか?
大袈裟な比喩ばかりで掴みどころのない粗筋。
「ズーイ」の章では、ただ永遠にズーイが話すのをフラニーが聞いている、それだけだと言っても過言じゃない。
場面展開が殆どない。
 
ラニーはレストランで話しているだけ。
ズーイは自宅で話しを妹に聞かせているだけで、何のために読んでいるのか、または読まされているのか全く忌々しい小説だ。
評価としてははっきり二つに分かれている。
 
面白かったか、よく理解出来なかった。
 
普通、一方で評価が上がれば、他方ではそれほどでもなかったと採点するのが常だが、本書の場合、理解出来ないと私と同じ感想を持っている人がいる。
思うにワザと意味難解に書き込んでいるのか。
 
一見、荒唐無稽とも思える会話だが、かなりの知性がないと成り立たない内容で、それを理解して反論している20歳そこそこの妹からして鼻に付く。
言うなれば兄妹間としては極めて非日常的な会話が展開されるところが味噌なのか、村上春樹には理解出来て私には出来ない、まあ、そういうことなら理解できる。
 

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