恋の蛍: 山崎富栄と太宰治 松本侑子

 
私にとって太宰治は、その作品以上に心中事件の比重の方が大きい。
この事件には「魅了」されるような魔力が潜んでいる。
事実、有島武郎の心中に比べると、その関連図書に於いては比較にならない。
故に繰り返し読むのではなく読まされてしまう自分に飽きれる。
しかし本書は通常のそれとは違って心中相手の山崎富栄の視点から書かれているのが珍しい。
謂わば山崎富栄の伝記本と言ってもいい。
 
なんでも父晴弘は日本で最初の文部省認可の美容洋裁学校設立者らしい。
子供は二女三男だが富栄を除いて全員夭折。
富栄は一度の結婚経験があるが僅か10日ばかりの新婚で夫はフィリピンに転勤後、現地召集され戦死。
フィリピン戦に於いては参加兵力63万0976人中、47万6776人が戦死したとある。
 
太宰との出会いは夭折した兄、年一と太宰が同じ旧制弘前高校の同窓生で、富栄が鎌倉から三鷹に転居した日と太宰が青森から三鷹に帰った日が同じ昭和21年11月で二人はまるで運命の糸に操られるように昭和22年3月27日出会う。
それは太宰の愛人太田静子から懐妊を告げられた10日後、妻美知子が出産する3日前のことだった。
次第に深まる関係を富栄は日記に書いている。
 
「死ぬ気で! 死ぬ気で恋愛してみないか」
 
と、太宰に云われたと。 
そこが解らない。
妻との間には既に3人の子を為し愛人も子供を宿している中で、更に第三の女と死を賭けて恋愛しようとしている。
死をちらつかせて女を引き寄せるのは常套手段なのか、そこまで言っては太宰を責め過ぎだろうか。
女がらみで動揺すると直ぐに死ぬの生きるのと切り出すのは太宰の癖と見るべきか。
田部あつみ、小山初代と問題を起こし、富栄の方にしたところでまだ夫の戦死公報も届いていない。
 
昭和23年の太宰の状況は払いきれない高額な税金、末期の肺病、文壇での四面楚歌、愛人問題とお手上げの状態。
 
玉川上水へ入水した二人の遺体が上がったのは昭和23年6月19日。
離れないように紐できつく結ばれていたようだが引揚げ後は切り離され揃って墓に入ることは出来なかった。
山崎側はひたすら謝罪の低姿勢をとったが太宰の妻はそれに応じようとは思わなかったようだ。
 
後日談になるが、どういう訳か富栄が太宰を絞殺して心中の道連れにしたような風聞が出回ったが、検視の結果では首にそのような痕はないとか。
また、入水前に青酸カリを飲んだ形跡も見つからなかった。
 
この事件は確かに興味深いが果たして私自身、太宰の心境を適格に読み取っているかどうかよく分からない。
太田静子が妊娠した時、太宰は静子に言っている。
 
「これで一緒に死ねなくなった」
 
静子の妊娠を知った富栄は「私も子供が欲しいと」なじったらしいが、もし富栄が妊娠したら自殺は思い留まったということか。
必然的に出会ったような二人だが唯一、死を免れる子宝には恵まれなかった。 
余談だが太宰には生前の映像がない、これはまた残念なことだ。
 

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