居眠り狂志郎の遅読の薦め

未だ休読日に至らず

書斎は戦場なり 小説・山田美妙 嵐山光三郎

 
かなり前のことになるが、BSだったかCSだったか児玉清さん司会の「ブック・レビュー」なる番組があった。
毎週見ていた関係で初めてこの山田美妙という明治の作家のことを知った。
確か単行本では「美妙、消えた」というタイトルではなかったかと思うが、その名の通り、今日、山田美妙なる作家のことを知る人はまず少ない。
 
斯くいう私も彼の本を1冊も読んでいないのに伝記本には興味をそそられ購入した。
主に明治20年代文壇の話しだけに読みこなすのが大変だった。
我が国の小説は坪内逍遥小説神髄がその起源とされるが、同時期に発売された当世書生気質が大評判、勧善懲悪の読み物とは違って人間の活写を描いているところが新味だったんだろう。
とは言っても逍遥の小説は一般的にはまだまだ読み難く美妙の登場によって近代小説の文体は始まったとある。
 
明治の初期は戯作者、仮名垣魯文の作品が多く人気を博していたようで、20年代に入ると所謂、言文一致の書き物が広く親しまれるようになり、そのトップを切ったのが山田美妙ということになるらしい。
因みに明治18年「novel」を大説ではなく「小説」と訳したのが坪内逍遥
 
俄かに「小説」なるものが書かれるようになり、共に切磋琢磨して後に硯友社を率い、一世を風靡した尾崎紅葉美妙は幼馴染で同じ長屋に住んでいた時期もあるとか。
余談だが東京タワーの場所には昔、紅葉館なるものが建っており、芝で育った尾崎徳太郎こと紅葉の筆名はここからきている。
 
本書の登場人物は多士済々で、それらの作家の引用箇所も多く読むのに骨が折れる。
二葉亭四迷幸田露伴森鴎外、川上眉山巌谷小波、石橋思案、黒岩涙香内田魯庵斎藤緑雨広津柳浪石橋忍月、澁谷天外、江見水陰、河井醉茗、樋口一葉等々。
 
何れも文才揃いとは言うもの、そこはそれ、この時代、文壇では喧嘩が絶えない。
鴎外と逍遥の喧嘩が夙に有名だが、あまり買い言葉を得意としなかった美妙は妾問題で一方的に叩かれている。
明治27年、日清の間で戦端が開かれていたにも関わらず美妙は、
 
「ハレンチ漢、美妙斎ノタダレタ愛欲生活」
 
黒岩涙香に素っ破抜かれ「万朝報」に掲載されたのが第一の躓きで、その後も、
 
「戦時下、愛国兵士ガ出征シテ国ノタメ一命ヲ捧ゲテイルトキ、妾宅デ栗金トンヲ食シ、性愛ニ溺レル言文一致ノ徒ハ厚顔無恥ナリ」
 
と手厳しく槍玉に上げられている。
美妙は、自らの情痴小説も含めて世俗を書くという決意があったらしいが、これを読んだ逍遥までもが噛みついた。
 
「小説作者の主題は人なり、人の性情行為なり。不義醜徳も実感を挑発せざるように描かるゝ限は、小説脚本の品題たり。かるが故に小説家は、其の題材を得んが為に、不義醜徳に接するの権利ありや」
 
その後、囲っていた妾、石井留女と別れ明治24年稲船こと田沢錦という作家志望の女性と結婚するが、長続きはせず稲船は里に帰り、その地で病没。
それをまた「万朝報」が「稲船、自殺を謀る」と書いたから堪らない。
モルヒネを多量に服用して自殺したというのだ。
あくまでも憶測記事だったが世間にはこれが定着してしまった。
 
かくして美妙に好意的であった数少ない批評家までが彼の下を去った。
また、美妙にはこんな一面もある。
妾宅、石井留女の家に毎日のように通い日記を付け、その中に「宝」という文字が頻繁に出てくるが、これは情交のことを指しているらしく明治24年9月の頁には20回。
しかし当時の文壇では色恋沙汰で羽目を外すことは珍しいことではなく美妙ひとりが誹りを受けるのは聊か同情の余地もあるが。
内田魯庵の美妙評を見ると。
 
・あまりに若くして人気作家になり、テングになってしまった。
・最初は歓迎された新しい文体がやがて飽きられてしまった。
・器用すぎて、ひとつのことを完成できなかった。
・性格が偏狭で、しかも誠実でないところがあり、友人がいなかった。
・女性スキャンダルのとき援護してくれる友がいなかった。
 
かくして美妙は文壇から葬り去られ失意のうちに明治43年10月24日、顎のあたりに出来た悪性腫瘍のため亡くなった。
享年43歳。
山田美妙がどういう人だったか、そこまで叩かれなければならないような人物だったか私には判断し兼ねる。
美妙が残した漢詩には・・・。
 
軽載香閨残夢過 
軽やかに香閨残夢(こうけいざんむ)を載せて過ぐ
 
吉原の遊女の哀れをつづったものだとか、なかなか上手い。
唯一、私が知っている美妙の歌はこれだ。
 
♪ 敵は幾万ありとても、すべて烏合の勢なるぞ
 

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