五社英雄の名作『人斬り』です。
刺客は三人、安岡嘉助、那須慎吾、大石団蔵。
時に文久二年四月八日。
二十七歳の生涯だった。
その子孫が小説家の安岡章太郎で、安岡家のルーツを溯り著したのが1981年発売の『流離譚』。
それ以前、1958年に書いた『舌出しの天使』という小説があるが、最近ある本の中にこんな記述を見つけた。
私たち多くの人生というものは私たち小説家が時として選んで描くような冒険や事件や英雄的行為などはない。若い人々が恋愛や結婚がどんなに素晴らしいかをを憧れるが、本当の結婚の動機とは安岡章太郎が『舌出し天使』で書いたように一人の男と一人の女がデパートの食道で、お好みランチを共に食べあったことで決まるような平凡と凡庸さに充ちているのである。
そして顔を洗う。食事をする。満員電車に乗る。風邪を引く。
そうした凡庸な日常生活性を私たちは避けて通れない。
まあ、そう言ってしまえば身も蓋もなく、夢も希望もないが、人生、概してそういうものだろう。
劇的で運命的な出会いなどはごく稀で、それとなく知り合って、何となく結婚する。
そして平凡な日常生活は始まり平凡な余生を送りお迎えを待つ。
確かにそうなんだが人間はとかく変化を求めたくなるのも人情、平凡というベルトコンベヤーに乗せられ自動的に平凡人生を歩んで行くのは躊躇いもあるが、気が付いてみれば、やはり平凡人生で良かったと思うのだろうか。
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