船山馨の名前を知ったのは、その死を報じる新聞だったと思う。
作品を読まないまま伝記本を通読してしまったが、船山の死んだ当日夜、妻も後を追うように亡くなったということが印象深い。
船山馨の物語というよりは妻春子との借金、薬物中毒物語と言ったほうが適当かも知れない。
しかし春子の奮闘ぶりは尋常ならざるものがあり対外的な交渉、事務全般、原稿料の請求、質屋への出し入れ、借金の願い、そして育児と家事。
ただひたすらに夫の才能を信じ、そして尽くした一生だったようだ。
晩年、船山は持病の糖尿病を悪化させ全盲になるが、甲斐甲斐しく夫に尽くす春子の姿は涙ぐましい。
明治生まれの女には珍しく、嫁に対して、
「家事などしなくてもいい、それより本を読んだり、いい音楽を聴きなさい」
「ごみなんてものは扇風機で吹き飛ばせばいいのよ」
と豪放磊落。
その日、昭和56年8月5日午前7時過ぎ、看病疲れのため小休止した妻に看取られることなく船山は逝った。
1日が慌ただしく過ぎ、弔問客も帰った夜9時半頃、
「お葬式がすんだらみんなでハワイへ行きましょう」
と言って、卓上に残った寿司を一つ口にした春子は胸を押さえて突然倒れる。
夫67歳、妻71歳、共に心不全の最期で比翼連理の二人だった。
壮絶な二人の生涯だが、こんな夫婦もいるわけだ。
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