黄色い虫: 船山馨と妻の壮絶な人生 由井 りょう子

 
船山馨の名前を知ったのは、その死を報じる新聞だったと思う。
作品を読まないまま伝記本を通読してしまったが、船山の死んだ当日夜、妻も後を追うように亡くなったということが印象深い。
船山馨の物語というよりは妻春子との借金、薬物中毒物語と言ったほうが適当かも知れない。
 
薬物とは無頼派作家御用達のヒロポンで昭和23年6月、太宰が朝日新聞に『グッド・バイ』連載途中に心中したため、その穴埋めとして船山に白羽の矢が立ったことが事の始まりらしい。
何の用意もなくお鉢が回ってきたことに戸惑った船山は、当時は誰でも簡単に手に入れることが出来たヒロポンに嵌り、不眠不休で連載小説を書く、それが地獄の一丁目だったと言える。
 
昭和22年、長女が僅か12日で亡くなったショックから妻春子もヒロポンに手を出し、夫婦揃って完全な依存症で原稿料の大半がヒロポン代になった。
しかし春子の奮闘ぶりは尋常ならざるものがあり対外的な交渉、事務全般、原稿料の請求、質屋への出し入れ、借金の願い、そして育児と家事。
ただひたすらに夫の才能を信じ、そして尽くした一生だったようだ。
 
晩年、船山は持病の糖尿病を悪化させ全盲になるが、甲斐甲斐しく夫に尽くす春子の姿は涙ぐましい。
明治生まれの女には珍しく、嫁に対して、
 
「家事などしなくてもいい、それより本を読んだり、いい音楽を聴きなさい」
「ごみなんてものは扇風機で吹き飛ばせばいいのよ」
 
と豪放磊落。
その日、昭和56年8月5日午前7時過ぎ、看病疲れのため小休止した妻に看取られることなく船山は逝った。
1日が慌ただしく過ぎ、弔問客も帰った夜9時半頃、
 
「お葬式がすんだらみんなでハワイへ行きましょう」
 
と言って、卓上に残った寿司を一つ口にした春子は胸を押さえて突然倒れる。
夫67歳、妻71歳、共に心不全の最期で比翼連理の二人だった。
幸いにして晩年に書いた『石狩平野』と『お登勢』が共に好評でヒロポンとも手を切り借金を完済しての旅立ちだった。
壮絶な二人の生涯だが、こんな夫婦もいるわけだ。
 

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