愛に恋

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裁判記録「三島由紀夫事件」 伊達宗克

長い人生の中には、あの日、何処で何をしていた、という記憶に残る1日がある。
例えば昔の人なら終戦の日を鮮明に覚えていることだろう。
私の場合は昭和45年11月25日のこと、学校帰りに知り合いのお姉さんから声をかけられた。
 
三島由紀夫が自殺したよ。切腹したんだって」
 
三島由紀夫が自殺?
切腹した!
と、一瞬、虚を突かれたような言葉だったが、実はこの時、三島由紀夫なる人物を知らなかった。
初めて聞く名前で、その人が切腹、どういうこと、と言うのが偽らざる感想だった。
その三島事件に興味を持ち始めたのがいつの頃のことか思い出せない。
ともかく成人後、一連の事件に関する本をそれなりに読んでみた。
中でも三島を介錯した森田必勝に対する興味もあって中村明彦著『烈士と呼ばれる男』という本を読み、現代社会に於いて僅か25歳で割腹した森田とはどういう人物だったのかと。
 
2か月程前だったか、例に拠って古書市で本書を見つけた時、一瞬、ビックリした。
世に、こんな本があったのか!
見つけた限りは買うしかない。
滅多にお目にかかれる本でもなし。
 
さてと、本題だが、事件前日の24日夕、著者に三島から電話があった。
 
「明日の朝はどこにいるか。明日午前10時過ぎ、市谷会館で会いたい」
 
翌日、その市谷会館に出向くと「楯の会例会」とあったので3階へ行くと隊員が封筒を持参、中には「檄文」と三島以下5人で写した写真が入っていた。
後列左から森田、古賀、小川、小賀。
今日ではよく知られた有名な写真だが、この写真は同月19日に撮られたものだとか。それ以外に私信も入っており、その関係もあって著者は全裁判を傍聴し、主観を交えず資料として永遠に残したいとペンを取ったのが本書ということになる。
因みに軍服をデザインしたのはド・ゴールの軍服をデザインした五十嵐九十九。
 
櫛淵理裁判長は福島正則の十八代目の子孫、主任弁護人草鹿浅之助は名前からも想像出来るように連合艦隊参謀長、草鹿龍之介の弟に当たる。
大和出撃のため司令長官・伊藤整一中将を説得した人として有名。
 
小賀正義の陳述を読む。
 
「三島先生は、多くの人は理解できないだろうが、いま犬死が一番必要だということを見せつけてやりたい」
 
と言っている。
三島は陽明学の信奉者で大塩平八郎を尊敬していたのだろう。
私もよく知らないが陽明学とは知行合一といって確か思想と行動の一致を旨とする学問で、平八郎、西郷、乃木も陽明学のの実践者だと思ったが違ったか?
事件の概要は書かないが人質に捕られたのは東部方面総監の益田兼利陸将。
陸将は終戦時にも友人の晴気少佐の自決に立ち会っているが、バルコニーで演説を終えた三島は午後0時10分頃総監に対して、
 
「こうするより仕方なかったんです」
 
と言って制服を脱ぎ、正座して短刀を両手に持ち、気合を入れて左脇腹に突き刺し割腹した。
左後方から日本刀を持った森田が介錯のため斬り付けたが首は離れず、古賀が、
 
「森田さん、もう一太刀」
 
と声をかけ二太刀目を振り下ろしたが、それでも果たせず、森田から「浩ちゃん頼む」と言われ古賀が介錯した。
続いて森田が割腹し、正座したまま「まだまだ」「よし」と相図するや古賀が一刀の下に森田の首を刎ねた。
三島のバルコニーでの演説は有名だが、少し書いておきたい。
 
我々は4年待った、最後の1年は熱烈に待った。もう待てぬ。自ら冒涜する者を待つわけにはいかぬ。しかしあと30分、最後の30分待とう。共に立って義のために共に死ぬのだ。日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそ我々は生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる(略)
 
三島の言う「自ら冒涜する」とは、自衛隊違憲論のことで自らを否定する憲法のことを言っている。
つまりは楯の会自衛隊と共に蹶起して国会を占拠、憲法改正を実現しようとしたわけで。
ところで、本裁判では思わぬ名前も登場する。
 
裁判長「三島は吉田松陰より久坂玄瑞の方を愛していたというが、聞いたことがあるか」
 
益田証人「ありません」
 
私情を挟まずに三島の思想も書いておく。
 
「右翼は理論でなく心情だ」
 
「このまま行ったら『日本』はなくなってしまうのではないかという感を日増しに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済大国が極東の一角に残るのであろう」
 
また、詳細は省くが明治9年熊本で起きた神風連の乱に傾斜していたようだ。
判決要旨は最後をこのように纏めている。
 
被告人らはよろしく、学なき武は匹夫の勇、真の武を知らざる文は譫言(せんげん)に畿(ちか)く、仁人なければ、忍ざるところなきに至るべきことを銘記し、事理を局視せず、眼を人類全体にも拡げ、その平和と安全の実現に努力を傾注することを期待する。
 
自己犠牲を前提にすれば暴力行為も肯定されるべきである。死を賭けて一回限りの生命の燃焼こそが人間を意味あらしめるといった思想、心情をも抱くようになり、また切腹こそ日本伝統の文化を表現する引責方法であると考えるに至った。