『志士の肖像(上・下) 早乙女貢

 
歴史小説作家だった故早乙女貢氏は生前『その時歴史が動いた』などで何度か拝見したが、いつも和服姿で、どこか古武士然とした風貌は少し近寄り難いタイプの人だった。
司馬遼太郎ファンの私は司馬さんが書かなかった穴埋めと言っては失礼だが山田顕義を扱った『志士の肖像』を昔読んだことがある。
早乙女貢氏は曽祖父が会津藩士だったため会津贔屓の作品が多いようだが、それでも仇敵の長州藩山田顕義を書いているというので興味を持った。
 
幼名山田市之丞は僅か一年だが松下村塾で松陰の教えを受けたことがあり、維新後は顕義として近代法の制定に全力を尽くし、第一次伊藤内閣の司法大臣を拝命、明治22年には日本法律学校を設立している。
大学設立は松陰の宿願でもあった。
司法大臣として約9年勤め、明治25年、47歳で没した。
山田は陸軍中将でもあり伯爵を賜っているが早くに死去したためか元老にはなっていない。
その山田が設立した先の日本法律学校が現在、何かと世間を騒がしている日本大学になる。
 
「山田伯、何か一言、お願いできますか!」
 

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