愛に恋

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ちんちん電車 獅子文六

 

昭和30年代、子供のお小遣いは、おそらく1日10円と相場が決まっていたのではなかろうか。

その10円でお好み焼きが食べれた時代、まだ至る所、網の目のようにちんちん電車が走っていた。
キャラメル、ガム、チョコレート、アイスクリーム、そしてお菓子の量り売りなど、10円で大抵のおやつは買え、確かコロッケ5円、メンチカツ7円、トンカツ15円の時代だった。
 
ちんちん電車の運賃はというとこれまた15円。
私もよくお世話になった口である。
昭和47年、京都駅前からちんちん電車に乗った記憶があるが、まさか将来、昔懐かしいちんちん電車が一部の地域を除いて全廃されるなど想像もしていなかった。
当時は鉄道マニアなどという人種も存在せず、時に「花電車」なるものも運行していたが、特別、人だかりもなかったように思う。
 
本書は昭和41年刊行で、都電全面廃止が叫ばれる中、ぶらり旅のように過去の記憶を頼りに都電駅を散策して著した随筆。
獅子文六、73歳の作品。
都電の開通は明治36年、それ以前は客車を馬が牽いて走った鉄道馬車が主流で文六先生は、その頃のことも記憶している。
私などと違って文六先生は「ちんちん電車」を60年以上に亘って乗ってきた計算になり、その愛着も一方ならぬものがある。
 
獅子文六のみならず、都会育ちのオトナや老人たちはみな戦前を懐かしがった。戦前を『暗黒時代』と教えられた戦後生まれには信じられないことだったのだが、戦前を生きた市民たちにとって、それはよい時代にほかならなかった」
 
と解説にあるが、よく解るような気もする。
文六先生のように明治中期生まれの人にとって関東の震災と戦災は想い出深い明治を消し去ったようなものだろうか。
私の知らない戦前の東京を語る人も少なくなった。
 
明治時代に生まれた人の本が面白いのは決まって家系出自の問題が出てくるところで、文六の父は豊前中津藩の士族、福沢諭吉と郷里を同じくする。
現代の小説家にはまず出てこない記述だけに非常に興味がある。
日露の役以降、支那事変、太平洋戦争と経験した人たちの人生は何度読んでも飽きない。しかし必然というか虚しいというか文六先生が懐旧の談として書いたこの書から既に半世紀以上の時を経た。
私などの世代は昭和41年が懐かしく思う。
この時代にはまだ日露戦争を知っている人が存命だったことを思うと感慨も深い。