愛に恋

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双六で東海道 丸谷才一

 
以前、BSの『原宿ブックカフェ』という番組で紹介されていたので、なら読んでみようかと思い、早速手に取ってみたが丸谷才一の博覧強記だけが印象に残る本だった。
テレビ解説者が言っていた「遅刻論」の章だけを頼りに購入したようなものだから、その触りの部分を少々紹介してみよう。
 
例の巌流島の決闘で武蔵はどのぐらい遅れたのか?
高札に記された時刻は辰の上刻、つまり午前七時。
藩士が二度、早舟で急き立てに行っても武蔵は一向、慌てる気配がないばかりか悠然と絵を描いていた。
武蔵の到着は巳の刻、十時半近く。
ツバメ返しも功を奏さず苛立っていた小次郎の負け。
 
今一つ、日本遅刻史上最大の汚点となった日米交渉打切りの通告文を外務省が指示した時刻より一時間二十分遅れで手渡したあの事件。
これには山本長官も驚き呆れ怒った。
 
「事前に通達してくれよとあれほど言って置いたのに」
 
アメリカ側の放送では!
 
「トレチャラス・アタック」
 
つまりだまし討ちということになった。
武士道にもとる卑劣な行為、東郷外相は野村、来栖両駐米大使に、七日の午後一時(ワシントン時間)日本時間八日午前三時に最後通牒を手渡すよう訓令していた。
しかし問題が起きた。
直前の外相の訓令にはこうある。
 
・アメリカへの回答は長文ゆえ十四部に分けて送る
・この電報は極秘にせよ
・米側に手渡す時間については追って連絡するが、いつでも手交できるように準備して置くこと
 
十三部まで打電されたのはワシントン時間で六日午後0時半。
七日、ワシントン時間午前七時、第十四部は午後一時を期して国務長官に直接手渡すよう指示があり。
ところが第十四部を受け取った時点で第十三部までの暗号解読は終わっていたが、まだタイプを打っていなかった。
 
この問題は今日でも謎が残るようだが電信官六人に対しタイプを打てる書記官が一人しかいなかった。
かくして野村、来栖両大使が怒髪冠を衝く勢いのハル国務長官に書類を渡したのが午後二時半。
すでに日本機動部隊による真珠湾奇襲は午後一時二十五分に始まっていた。
つまり相手の顔を殴ってから宣戦布告したことになる。
 
しかし丸谷才一が言いたいのは午後一時に書類を手渡し、二十五分後に奇襲では早過ぎるのではないかという指摘だが、では何時なら正々堂々となるのか。
と面白い本なんだが、誤魔化されてはいけない。
この本、かなり専門的な知識がないと手強い。
私などはたじたじ。
 

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