愛に恋

    読んだり・見たり・聴いたり!

近衛文麿「黙」して死す 鳥居民

 
まったく論評に困る本を読んだものだ。
著者の本は初読みだが、かなり憶測でものを言っている。
勿論、私にその説を論破できるほどの学識などありはしないのだが、どの部分を取っても納得できる手応えがなかった。
天皇を護るためには木戸内府か近衛公のどちらかが死なねばならなかったと言っているが、本当にそうか?
近衛公を死に追い遣ったのは木戸内府というような語りだが。
 
問題は昭和16年9月6日と11月5日に行われた御前会議。
名称はどちらも『帝国国策遂行要領』で、11月の御前会議の決定では「武力発動ノ時機ヲ十二月初頭ト定メ」という文言がある。
その間、近衛内閣は10月16日に総辞職。
理由は中国からの撤兵を東條陸相拒否された為だが、ここは本当は難しい。
大陸からの撤退は対米戦を避けるためには絶対不可欠な条件だが陸軍がそれを受け入れるはずもなく閣内不統一で総辞職となるのは必至。
木戸内府は重臣会議を諮っていま一度、第四次近衛内閣を奏上することも出来たはずだが、それをしなかった。
 
近衛公は対米戦に賛成していたわけではないのに内府は東條陸相首班指名した。
確か軍を纏めることが出来るのは東條しかいないという理由ではなかったか。
戦後、GHQは「武力発動」が決まった御前会議を9月6日だとしているようで、それでは近衛内閣が開戦を決意したということになってしまうが?
 
本書によれば木戸内府がGHQに対し、9月6日の御前会議の内容を大きく歪めて話し、近衛が対米戦決定をしたかのように書かれている。
策謀を巡らせたのが木戸内府で責任を近衛に転化したような書き方だが
対米戦の責任者は軍令部総長永野修身参謀総長杉山元陸相東條英機でもなく内大臣木戸幸一だと断定している。
 
難しい話しだが、アメリカの全面経済封鎖を解除させ、関係正常化を諮るには大陸からの撤退以外になく近衛総理は陸相説得に神経を尖らせていた。
しかし陸軍側として呑める案ではない。
 
戦後、東久邇宮内閣で副総理、国務大臣を拝命していた近衛は連合国から、日本の民主化に手を貸してほしいと過信していたのか帝国憲法改正作業にも着手。
だが、戦犯指名を受けて自決したと単純に思っていたが真実はもっと複雑なのだろうか!
 

ブログ村・参加しています。

ポチッ!していただければ嬉しいです♡ ☟