乗船者1661名中、学童は800余名で生き残った児童はたった50名余りだった。
更に沖縄近海には敵潜水艦が頻繁に現れることもあって親たちの決断を鈍らせた。
果たして安全に本土に渡れるのかどうか誰でも迷う。
しかし軍の意向もあり市長は校長に対し半強制的疎開を迫る。
海軍の護衛もあるということで親御さんたちも渋々同意。
しかし悲劇は起こった。
魚雷命中という衝撃は私たちには解らないが沈み行く船上から大人たちは無理やり子供を海に投げ込んだ。
「筏でも何でも掴まってとにかく船から離れろ」
それからというもの飲まず食わずで何昼夜も海中に浮いて救助を待つ。
多くの者が鱶に襲われ夜は寒く昼は直射日光に悩まされ、疲れて眠る者は打ん殴られて叩き起こされる。
睡魔は即ち死を意味する。
対馬丸撃沈の報が伝わるや親たちは大混乱。
行くも地獄、残るも地獄とはこのことか。
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