愛に恋

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清須会議 三谷幸喜

三谷幸喜の作品は初めて読んだ。
別に三谷幸喜だからというのではなく、このタイトルに惹かれた。
『清州会議』
本能寺後の歴史書には必ずと言っていいほど登場する有名な会議だが、これまで『清州会議』だけを扱った本というのは見たことがない。
勿論、書き手が三谷幸喜なのでお堅い歴史書などではなく全編現代語のややパロディ的な要素のある本だが、一体、どこまでが事実なのかは疑わしい。
 
それはともかく、以前から「清州会議」という名称には違和感を覚えているのだが、戦国時代に果たして「会議」という言葉は存在していたのか。
正確には「清州評定」が正しいのではないかと思うがどうだろう。
小田原評定」という言葉もあるぐらいなので尚更そう思うのだが。
更に一言付け加えたい。
私は名古屋育ちなので清州には何度も行ったことがあるが、昔は清州城址で館などはなく、ましてや天守などはなかったが現在は模擬天守が建っている。
織田政権下の清州城は単なる館のはずで、誰の意見であんなものを建設したか知らないが絵図面も存在しない城の復元というのはあまり関心しない。
 
まあ、そんなことを言っても詮無いが本編、清州会議とはどのようなものだったのか、大方、テレビドラマや映画などでよく見る場面ではあるが大筋のところを書いておきたい。
織田家には五人の宿老がいたわけで順に筆頭家老の柴田勝家丹羽長秀滝川一益明智光秀羽柴秀吉となるが、本能寺の変が起きた時、勝家は越中松倉城に籠る上杉勢と向かい合っている最中、滝川一益は関東で北条氏相手に奮戦中。
丹羽長秀は信長の三男信孝を総大将に長曾我部攻め補佐役として堺で戦の準備をしていた。
そして秀吉は備中高松城で毛利方の清水宗治と交戦中。
光秀謀叛の知らせを聞いた秀吉は毛利方と和睦、宗治の自刃を見届け直ちに反転して山崎で光秀と弔い合戦。
 
この日、嫡男信忠は妙覚寺に滞在中。
光秀謀叛を聞き、手勢を率いて本能寺に向かったが明智勢に阻まれ断念、二条新御所に入り、妻子を前田玄以に託し自らは戦わずして自刃してしまった。
事態が治まったところで筆頭家老の勝家が各宿老に清州で織田家の行く末を話し合うため参集を呼びかける。
期日は6月24日。
 
議題は二つ。
「跡目相続」と「遺領配分」、更に論功行賞もある。
遺領配分とは亡くなった三人の領地配分。
即ち、信長、信忠、光秀の領地で具体的には信長支配の摂津の一部と直轄領地、信忠の尾張と美濃、光秀の丹波、山城、近江の一部など。
出席者は以下の六人。
 
二男信雄(のぶかつ)
三男信孝
羽柴筑前
 
池田恒興は山崎の合戦で秀吉軍と合流して光秀を破り、席上、新宿老として出席。
本書では議長が丹羽長秀、書記として前田玄以が参加している。
因みに前田犬千代こと利家は勝家の与力という立場なので参加資格がない。
問題になったのは当然、最重要案件の家督相続。
誰を織田家の跡目にするか。
信長には弟信包(のぶかね)と、12人の子供が居たという説もあるが、当面の相続対象者は信孝と信雄、二人は異母兄弟だが同い年らしい。
 
勝家は三男の信雄を推し秀吉は二男信孝を推薦。
しかし、勝家の味方たる滝川一益の到着が遅れ会議に参加できない状態で議題は進行。
議論を優位に展開さてたのは光秀を討った秀吉で勝家は合戦に参加できず、長秀は京都に最も近い位置に居ながら手柄を秀吉に奪われ領地佐和山明智軍に一時奪われてしまい発言権が低い立場。
 
本書にはお市の方と長男信忠の奥方、松姫と嫡男三法師も清州で登場させているが、その辺りはよく知らない。
但し、お市の方が勝家に味方したことは容易に察しがつく。
お市の方は、いくら兄信長の命令とはいえ秀吉は夫浅井長政の仇。
そればかりか僅か10歳の長男万福丸を殺した張本人。
小説には、その場面がこのように書かれている。
 
その時、処刑に立ち会ったのが秀吉、お前です。
どんなに私が頭を下げても、お前は聞いてくれなかった。
息子を救ってくれなかった。
兄には殺したと偽って、そっと仏門に入れることだって出来たはず。
でもお前は、それを許さなかった。
なぜなら兄の命に背くのが怖かったから。
自分可愛さで、お前は、幼い万福丸を見殺しにしたのです。
 
さて、ここで前田利家の考えが書かれているので私の推論を交えて書いてみたい。
跡目が誰になるにせよ勝家と秀吉は、この後、宿老の合議制で織田家臣団を纏めお館様の夢、天下統一を成し遂げてみせるという意見で表向きは意見が一致している。
しかし、勝家は筆頭家老の座を秀吉に奪われるのではないかと心配し、利家は口では秀吉はああ言っているが、その実、織田家を乗っ取るつもりではないかと勘繰っている。
秀吉の参謀には黒田官兵衛が控えている。
果たして、この時点で秀吉は既に将来の天下人の構想を描いていたのだろうか?
 
しかし、家臣団が分裂して相争えば戦国の世は逆戻り。
お互い肚の内を探り合いながらも猛将柴田勝家が天下人の器に非ずということは全員、暗黙の了解だったような気がする。
戦には長けても政事は苦手。
しかし、秀吉の軍門には降りたくない。
それに肝心の信雄、信孝兄弟はどちらも頼りなく長男信忠が生きているば事情はまったく変わっていたのだが。
 
そこで秀吉が打った奇策。
血統から言って織田家の跡目は僅か2歳の信忠の嫡男三法師が継ぐのが筋目。
信雄、信孝のどちらが跡目を継いでも将来の火種の元。
ならば三法師を頭首に、その後見役を勝家が推している次男信雄が見るということで一件丸く治まる。
両兄弟も宿老に総てを一任している以上、この案に逆らえず本決まり。
そして、あの有名な場面となるわけで。
秀吉が三法師を抱っこし上座に着き「一同、頭が高い」と一声。
家臣団は渋々、三法師を抱いた秀吉に頭を下げる形になってしまった。
 
領地配分も終わり、全員が国許へ帰って行く。
そして翌年4月、賤ケ岳の戦いが始まる。
この戦いに勝った方が天下人への第一歩を踏み出す重要な戦だった。
本書は、5日間の会議の流れを現代語で解りやすく書いているので非常に面白く楽しめた。
秀吉天下取りの野望は筆頭家老の勝家を上手に持ち上げながらも黒田官兵衛の悪知恵などもあって既にこの時点で肚は決まっていたのではないか思うのが私なりの結論だが。
 

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