読書の腕前 岡崎武志

 
世の中には恐ろしい読書家、乱読家がいるが、私などはとても「読書の腕前」などと言う大それた文章を書ける腕前などは持ち合わせていない。
それでもタイトルに惹かれ読んでしまったが、好みのジャンルも相当違うようで年間3000冊の本が増殖中と聞いて絶句。
 
読書家の誰もが言うように、この方も膨大な蔵書に苦労しているようで、何とも嬉しい悲鳴のようにも聞こえる。
最近『絶景本棚』という書籍が出ているが、つい先日、その現物を本屋で見てきた。
いずれは買いたい本なのだが、取り敢えずその日は立ち読みだけ。
それにしてもまあ自宅が小さな古書店並のスペース。
書斎はちょっとした男のロマンだと思っている私には垂涎ものの絶景本棚だった。
 
しかし、数ある趣味の中でも読書ほど忍耐と孤独を要するものない。
映画、音楽、コンサート、旅行、美術館、混浴(あっ、失礼)のように恋人と一緒に鑑賞出来ない。
読書は格闘技と言われるように日々、私も悪戦苦闘している。
本来、私は読書人として体質的に向いてないのだ。
ところで著者はこう言い切る。
 
「教養とはつまるところ『自分ひとりでも時間をつぶせる』ということだ」
 
ふん、確かに、中島らもがこれと同じことを言っている。
孤独というランプに照らされながら鑑賞に浸るわけか。
なら、私にお似合いだが教養と言われると甚だ怪しくなってくる。
何も友達と群れなくても充分孤独を楽しむ方法を知っているということだろうか。
しかし読書は、どうも気分転換やストレス発散とは程遠い。
 
知りたいから読んでいる。
疲れるけど読まずにいられない。
読書とはまずそんなところだろうか。
読書家は必然的に古本好きも多いが著者の考えが書いてあったので少し引用したい。
 
古本を楽しむには、柔軟な脳を持つことが大事なのだ。既成の価値観に縛られ、すでに評価の決まったものだけを追いかけているのでは、新鮮な発見はない。いかにたくさんの『おもしろがり方』を持っているかで、死んだ本がよみがえる。自分で古本をいまに生き返らせる、その喜びを知ってしまったら、たやすく抜け出せる世界ではない。
 
自分で古本をいまに生き返らせる、その喜びを知ってしまったら、たやすく抜け出せる世界ではない。
 
言い得て妙!
その通りですね。
私の感覚では古本は一種の埋蔵文化財
既に忘れ去られた本が、誰かの登場を待ち受けている。
今日も「私」を捜しに誰かがやって来るかも知れないと。
 

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