逆光の智恵子抄―愛の伝説に封印された発狂の真実 黒沢 亜里子

 
著者の黒澤亜里子という人は1952年生まれ。
肩書きには沖縄国際大学文学部教授とある。
巻末の後書きに1985年とあるので女史、33歳の作品ということになるが、いやはや、大学教授というものは斯くも難しい文章を書くものかと呆れてしまう。
古本屋で見つけたときには、もっと単純に考えていたが、あまりにも専門的過ぎる。
「封印された発狂の真実」という、その真実を知りたくて読んでみたが、解ったような解らないような。
 
昭和7年7月15日、発狂直前の智恵子はアダリンという粉末の薬を多量に飲んで自殺未遂を犯したとあるが、それは知らなかった。
翌8年9月、病状悪化。
ゼームス坂病院へ入院したのは10年の2月、13年10月5日、53歳で結核により死去。
 
著者によると智恵子発狂の原因は「天災説」と「人災説」の二つ。
天災説は智恵子の家系に先天的な分裂病遺伝要因があったのではないかと説き、人災説では実家、長沼家の破産と抑圧的な人間関係、または智恵子自身の芸術上の悩みといった人的環境によるものと言っている。
 
光太郎によると「病勢はまるで機関車のように驀進してきた」とあるが入院直前の智恵子は、もはや手の付けようがないほど酷かったらしい。
 
7時間ほど独語や放吟、声枯れ息つまる程度にまで及び、ドアをみな釘づけにしても、それを取り、往来に飛び出し近隣に迷惑をかけ、器物の破壊、食事の拒絶、医師への罵詈雑言、薬も飲まずと。
 
これでは看病するほうも疲れ切ってしまう。
かなり昔のことになるが一度、十和田湖の智恵子像を見に行ったことがある。
智恵子亡きあと、侘び住まいのようなあの小屋で光太郎は何思い、如何に暮らしたのだろうか。
光太郎と智恵子、如何に愛し合おうと今では文字でしか、その愛を計り知ることしかできない。
光太郎存命中は心の中で熱く生き続けた智恵子像も光太郎死しした今、誰も智恵子を語れる者が居ない、何か遣る瀬無い気持ちになる。
 
後世に生きる我らは先人の愛の状態を紙片を通して読み推し量るだけ。
譬え激しく生き愛し合っても一般人たる我らの軌跡はただ消え去るのみか!
 

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