父・藤沢周平との暮し 遠藤展子

 
藤沢周平という作家はかなり多くの作品を残したが私が読んだ本はたったの二冊。
『回天の門』と『雲奔る 小説・雲井龍雄』だけで他に『蝉しぐれ』という映画を一本観ている。
『回天の門』は幕末の志士、清河八郎を描いた作品だが清河と藤沢さんは郷里が同じ山形県の荘内。
これまで、司馬遼太郎吉村昭といった歴史小説家を主に読んできたので、どちらかというと市井の人を題材にとった時代小説の分野はあまり読んで来なかった。
しかし、藤沢さんの作品は映画、テレビ、舞台と幅広く上映されているので、それだけ人気も高いのだろう。
 
他にも山本周五郎池波正太郎柴田錬三郎なども殆ど読んでない。
そこで今回、藤沢周平とはどんな人物だったのか、古書店で見つけたのを機に読んでみることにした。
その前に、親の七光りと俗に言うが文筆業の分野では七光りは通用せず、専ら実力本位の世界だが、蛙の子は蛙、意外と言っては失礼だが有名作家の子息が大成することが多々あるのはやはり血筋なのだろうか。
更には必ずと言っていいほど娘は偉大な父の思い出を書く。
その殆どが父に対する郷愁と情愛とでも言うか、はっきり言えばいい意味でのファザコンと受け取れるがどうだろう。
 
著者の遠藤展子さんは藤沢さんの一人娘。
昭和38年生まれだが、実母は出産8か月後に癌で亡くなられている。
その後、郷里から祖母を呼び寄せ藤沢さんは会社勤めの傍ら小説を書き、あちらこちらに投稿していたらしい。
結婚したのが昭和34年だが少し気になった記述があるので引用したい。
 
父と一緒になってから、生母は池袋の西武百貨店のなかの白洋舎というクリーニング店にしばらく勤めました。
 
はて、昭和34年というば私は池袋の隣の板橋に住んでいて、よく父に連れられ池袋の西武百貨店に行っていたが、白洋舎の前を通ったかどうか、藤沢さんも仕事が早く終わると妻を迎えに白洋舎に行っていたというから、まあ、あまり関係のない話しだが気になる。
 
さて、作家藤沢周平とはどんな人だったのか。
一言で言えば真面目を絵に画いたような人で凡そ、無頼派とは縁遠い作家だったようだ。
作風も英雄を書かない。
何故かという質問に答えて!
 
どんな人でも人間はそれぞれのドラマを持っている、無名の人の中にどういうドラマがあるのかに興味がひかれるのです。
 
また、娘のこんな問いにはこう答えている。
 
「お父さん、なんでコマーシャルに出ないの。テレビに出れば顔を覚えてもらえるのに」
 
「展子、よく聞きなさい。仕事というものは、どんな仕事でも本業をまっとうするのは大変なことなんだよ。本業以外の仕事で収入を得ようとすれば、必ず本業がおろそかになる。お父さんは、そういうのはあまり好きじゃないな。作家はもの書くのが仕事なんだから」
 
うん、まあ人それぞれ考え方はあると思うが、因みに遠藤周作開高健などはCMに出ていたし、意志の弱い私なんかは即出てしまうかも知れない。
ところで藤沢さんは大の洋画好きだったのか私と同じ番組を見ている。
 
月曜「月曜ロードショー」
火曜「鬼警部アイアンサイド」
水曜「水曜ロードショー」又は「名画劇場」
木曜「木曜洋画劇場
金曜「ゴールデン洋画劇場」
土曜「土曜映画劇場」
日曜「日曜洋画劇場
 
何とまあ、これでは毎日洋画ばかりを見ていたことになるが、あの頃は本当に良く見ていた。
更に62歳から、誕生日には毎年ビデオをプレゼントしたとあるが、これまた名作揃い。
 
・サイコ
・真昼の決闘
・刑事ジョン・ブック 目撃者
・逢びき
・戦場に架ける橋
・ひまわり
・鬼火
・かくも長き不在
 
鬼火だけは見てないが、どれもいい映画ばかりだ!
その藤沢さん、結核の病に侵された経験を持ち、妻に先立たれたことから、とにかく生活は普通が一番と説く。
しかし、その普通の生活を続けることは意外に難しい。
確かに、いつ何時、家族に災いが降りかからないとも限らない。
普通でいること、平凡な生活を守ることの難しさを痛感していたようだ。
 
「小説家になったのは、心の中の鬱屈を書かずにいられなかった」
 
と言っているが、不条理な世の中の事を市井の人々を通じ訴えたかったのか。
著者は父の作品の中で『橋ものがたり』の中の「小ぬか雨」という作品が一番好きだと書いているが、今度、読んでみるか。
因みに遠藤周作はこう言っている。
 
小説家とは、絶えず自分を揺さぶりつつ書いていくものである。 
 

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