愛に恋

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昭和流行歌スキャンダル その時ヒット曲は生まれた 島野功緒

 
曲は現在のJポップ・アーティストのように作詞、作曲、歌唱と、例えば桑田佳祐中島みゆきに代表される三位一体、全てを自分でこなすやり方と昭和歌謡のように分業制度とどちらが大変なのだろうか?
 
難しい問題だが、ともあれ我が国初の映画主題歌は昭和4年5月に発売された佐藤千夜子が歌う『東京行進曲』で作詞西条八十、作曲中山晋平コンビで作られた菊池寛の同名映画の主題歌が皮切り、当時はまだ無声映画時代で歌だけが挿入されたらしい。
戦後生まれの我々も或はこの詩を読めば知っている人も居るやも知れぬと思うが。
 
♪ むかし恋しい銀座の柳
  仇な年増を誰が知ろ
  ジャズで踊ってリキュルで更けて
 
50万枚の大ヒットで彼女の歌唱印税は5万円に達したとある。
1万円あれば一生楽な暮らしが出来るこの時代、それが如何に莫大なものか想像出来よう。
ただし「仇な年増」は「婀娜な年増」と書くのが正しい。
千夜子のワンステージのギャラは現在なら500万円。
しかし、桁外れだが浪費家で戦後はビルの清掃婦にまで落ちたというから人生分からない。
 
この本には数多くの流行歌エピソードが載っているが作詞者、作曲家、歌手の思惑などが絡み合い一つの曲が完成するまでの変遷が実に面白い。
著者は部外者ではなく放送、映画、新聞、テレビに携わって来た人だけに、その裏事情などを知った上で書いている。
少し紹介してみたい。
 
昭和12年7月に発売された上原敏の『裏町人生』よく知られた曲なので私も多少知っているが出だしが有名なフレーズ。
 
♪ 暗い浮世のこの裏町を
 
18年4月、上原が渋谷の映画館で歌っている時に召集令状が来た。
故郷、秋田の聯隊に入隊した上原に人事課の上官から呼び出しがあった。
35歳だった上原は補充兵としてされ上官曰く。
 
「今度の補充兵は全員南方に行く。だが、報道部からお前だけは残せと通達があった。お前ほどの歌手なら、ご奉公の道は別にある。いいな」
 
それに対して上原はきっぱり答えた。
 
「差別されるのは心外であります。自分も戦友と一緒に南方に行かせて下さい」
「分かった、お前は立派な男だ」
 
19年夏、東部ニューギニア、14万の日本兵の9割が戦死、その中に上原が居た。
私がこの歌を知っているのは戦後、多くの歌手によって歌い継いで来た結果だろう。
 
名曲『人生劇場』は映画の主題歌だとは知っていたが、てっきり村田英雄の持ち歌だとばかり思っていたが違うらしい。
村田英雄が歌ったのは昭和34年。
それ以前、13年5月に楠木繁夫という人が歌い、その後、ぱったりヒット曲が出ず28年、軽い脳梗塞で音程が悪くなり31年11月14日、自宅で縊死。
まだ、52歳の若さ、まったくお気の毒と言う他ない。
 
あの春夏に甲子園で流れる『栄冠は君に輝く』という誰もが知っている曲、あれは『長崎の鐘』を作曲した古関裕而という人の曲だが、歿後、国民栄誉賞を辞退したことでも知られている。
戦中の大ヒット曲『荒鷲の歌』の作曲者で、俗にいう『予科練の歌』だが、この曲のヒットで多くの若者が霞ケ浦に志願。
戦後、作詞者の西條八十と共に古関は責任の一端は、この歌にあるのではないかと苦悩したとあるが、国民栄誉賞辞退は遺族の意向なので本人生存ならどうしただろうか?
 
昭和55年TBS系テレビで「日本人の最も好きな歌」の全国調査という番組があった。
たまたま、その番組を私も見ていたが、おそらく第一位は『青い山脈』ではないかと予想していたら案の定だった。
著者は戦前なら『荒城の月』か『酒は涙か溜息か』が選ばれただろうと書いているが、あれから37年、今、同じ調査を行ったらどの曲が一位なのか興味深い。
 
子供の頃、どういう理由か知らないが春日八郎が歌った『お富さん』を大嫌いなおばさんが知っていたが、その『お富さん』と『上海帰りのリル』の作曲者は同一人物で、即ち、渡久地政信、才能ありますね!
 
有名な『有楽町で逢いましょう』を作詞した佐伯孝夫はある日、ビクターの社員と銀座で飲んでいると隣室の宴会場から替え歌が聞こえてきた。
本来の歌詞は!
 
♪ ああビルのほとりのティルーム
  雨もいとしや歌ってる
  甘いブルース
 
それを、ほろ酔い加減でこう歌っていた。
 
♪ ああ森のほとりのマンホール
  穴もいとしや濡れている
  赤いズロース・・・
 
破顔一笑、佐伯は言う。
 
「器用なもんだね、元歌よりうまく出来ている」
 
私の子供時代はGS全盛期。
中でもブルーコメッツ歌う『ブルーシャトウ』は替え歌まで出来る程の大ヒットで私もよく声をがなり立て歌っていたが、作家の柴田錬三郎さんは違ったらしい。
 
「森に囲まれた青い城というのは、まあいい。泉に囲まれるとはどんな意味じゃ。近頃の歌詞は支離滅裂、さっぱりわからん」
 
と、怒り治まらず。
 
ところで著者は昭和44年を断絶の世代の幕開けと言っている。
戦前・戦中派と戦後教育を受けた若者とのギャップは明確な落差を示し、道徳観、思考形式、美意識、全てが違い、何となく落日の影が忍び込み始めたこの時期に登場したのが藤圭子
あの『新宿の女』をドスの効いた声で歌っていた彼女はまだ17歳だったんですね。
17歳であれを歌いこなせた藤圭子という才能には恐れ入る。
ファーストアルバム、セカンドアルバムと通算37週連続一位という記録は空前絶後で今後、抜かれることはあり得ない。
藤の声に惚れ込んだ作曲家の石坂まさをは藤を手元に引取りスパルタ教育で怒鳴り付け、殴り付け、この1曲で藤をスターにのし上げた。
それにしても娘の宇多田ヒカルのファーストアルバムも765万枚で史上一位。
まったく凄い親子だ!
 
歌は世につれ、世は歌につれというが時代の変遷と共に流行歌は変わっても曲の誕生はゼロからの出発であることには変わりはない。
作者、歌い手、会社の思惑など制作に携わったドラマを紐解くようで、ある一面、人間の生き様を見るようで面白い本だった。
 

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