彼の名前は、ヴァンサン・ヴァン・ゴーグ。
彼は急いで店に這入る。
店では土人の矢だとか古風な鐵屑だとか安物の油繪だとかを賣ってゐる。
お氣毒な藝術家よ、君は今賣りに來たその繪を描いた時、君の魂の一と切れを入れたのだ。
薔薇色の紙の上の薔薇色の蝦(えび)を描いた小さな静物である。
「少しばかりでいゝんです。間代のたしにするので」
「困ったね、君、近頃お客も難しくなってね。安物のミレーはないかね、なんて言ふ、それは、御當人も承知だろうが、どうも貴方の繪は綺麗な繪とは言へない。今では景氣はブールヴァールの方に來てるから。まあ貴方も才能のある方だといふ評判だから、何とかしてあげたい。五フランとっときなさい」
丸い金貨が勘定臺の上で鳴る。
ヴァンサン・ヴァン・ゴーグは默って金貨を取り、お禮を言って出ていった。
彼は、いかにも辛そうに、ルビック通りを引返した。
家の近くまで來ると、サン・ラザールを出た女乞食が、憐れみを乞ふ樣に畫家に微笑した。
美しい手が外套から出た。
ヴァンサン・ヴァン・ゴーグは讀書家であった。
彼はエリザの事を考へた。
五フラン金貨は不幸な女の所有となった。
かれは慈悲心を恥ぢ、胃袋を空にし、大急ぎで、姿を消した。
いい文章ですね!
「かれは慈悲心を恥ぢ、胃袋を空にし、大急ぎで、姿を消した」
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