愛に恋

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リリー・マルレーンを聴いたことがありますか 鈴木明

 
昭和45年といえば三島の自決と大阪万博の年だったがサミー・ディビス・ジュニア、セルジオ・メンデス、フィフス・ディメイション、マレーネ・ディートリッヒのライブ・ステーが万博ホールで行われていたなんて今回初めて知った。
はて、私が行ったのはいつだったか?
45年の12月、或は46年の1月か、何しろ冬だったように思うが、こんな豪華なステージがあったなら是非にも見たかった。
だが、いや待てよ!
当時、彼らの名前を知っていただろうか?
少なくともマレーネ・ディートリッヒは知らなかったはず。
しかし、知らないとはいえ後の話しの種に世紀の大スターを見ておくべきだった。
 
ディートリッヒの登場は9月8日午後7時15分、ショーの終盤に歌われたのが「リリー・マルレーン」。
ところで大戦中、世界に轟いたこの名曲を、いつどういう切っ掛けで私が知るようになったのかさっぱり覚えていない。
うろ覚えだがシャンソンで聴いたのが初めのような、ディートリッヒはドイツ人だが仏語、英語と話せるのでディートリッヒが仏語で歌う「リリー・マルレーン」だったか今となっては覚束ない。
 
著者は、まさにその万博会場で聴いた「リリー・マルレーン」のルーツを追ってベルリン、パリ、ロンドン、ベオグラードと旅を続けながら戦火を生きぬいた人たちが「リリー・マルレーン」を通して何を感じどう戦ったのかを探る旅に出るのだが、時に脱線し、話しがずれていくところが難点だが、まあ、それは御愛嬌ということで。
先にも書いたが昭和45年当時、私は「リリー・マルレーン」もディートリッヒも知らなかったが、いつだったかゲイリー・クーパーと共演した『モロッコ』を通じてディートリッヒという、あのミステリアスな女優を知るようになった。
 
ヒトラーの帰国要請を拒否してアメリカ市民権を獲得しヨーロッパ戦線を慰問、連合軍兵士から熱狂的な歓迎を受け、ディートリッヒは行く先々でリリー・マルレーン」を歌ったが、そもそも曲の成り立ちは、1938年頃、ララ・アンデルセンというドイツ人女性がキャバレーで歌っていたものらしい。
さっぱりヒットしなかったが、そのレコードをベオグラード放送局に転属したドイツ兵が流したことから、たちまち大ヒット。
それをアメリカ戦略司令部の要請でディートリッヒがドイツ語で歌ったのが前線に広まり敵味方に関係なく聴かれるようになったとある。
 
・作詞 ハンス・ライブ
・作曲 ノルベルト・シュルツェ
・歌手 ララ・アンデルセン
 
全く知らない3人だが、ともあれドイツ軍占領下のラジオ・ベオグラード21時40分放送が初めて電波に乗せたことから北アフリカ戦線を始めとして各国の全線兵士に親しまれるようになる。
 
かなり昔の映画にスペンサー・トレイシー主演の『ニュールンベルグ裁判』という名作があるが、この映画の挿入歌として使われていたとあるが、どうも古すぎて私の記憶には残っていない。
更に付け加えるとララ・アンデルセンは72年に『空には、たくさんの色がある』という自伝を残したそうだが、こちらも探したが見つからなかった。
 
さて、東部戦線だが、ヒトラーは129年前のナポレオンがロシアに進撃した同じ日に独ソ戦に踏み切った。
ロシア人、2500万人の血が流れた凍てつくロシア領内でもベオグラード放送は聴かれるようになり全欧州戦線でこの歌を知らぬ者がなかった。
1969年の『ザ・タイム』は20世紀、最も有名な人物の一人としてララ・アンデルセンを選んでいるが、そのララ・アンデルセンを私は今日の今日まで知らなかった。
 
ともかく、ララの全く知らない所で曲はヒットし、何が起こったか分からないまま1941年になるとララ当てに膨大なファンレターが届き出した。
40年4月6日、ドイツ軍がベオグラードを占領し、ここに放送局を作ったのが事の発端だが42年夏、 スイス在住の夫と連絡を取っていたことからララはゲシュタポに逮捕される。
夫はユダヤ人だった。
 
戦い終わって世が開けてではないが、やはり戦争の時は自らを鼓舞するためにも歌が必要なのだろうか。
日本でも沢山の軍歌が作られた。
 
・同期の桜
ラバウル小唄
・麥と兵隊
・加藤隼戦闘隊
 
等々あるが、イギリスでは何と言っても「イギリス軍の恋人」ヴェラ・リンが歌った『We'll Meet Again』。
戦勝国では時を超えて今でもこれらの曲が歌われることがある。
あの時代を生き戦った人たちの思いを胸に後世まで語り継がれることだろう。
 
最後に、この本の事に付いて少し触れたい。
最寄りの駅の東口に小さな古書店がある。
雑誌、マンガ、エロビデオなどもあり、あまり目ぼしい本も無いのだが、それでも良く覗いている。
先日、店頭先のワゴンの中に本書を見つけ値段を見ると50円と安い。
以前から知っていた本だが、あまり見かけることはなかった。
発行は78年4月、購入後、近くの茶店でランチ。
念のためAmazon価格はと調べてみると最低価格が、な、な、何と2,800円。
え、へへ、2,800!
 
あまり古書店に出回っていないのか?
それを私は50円で買ってしまった!
この事実を店主は知っているのか?
何と儲けもん、これでぇいいのだ~、これでぇいいのだ~、天才バカボンバカボンボンと歌が思わず出てしまった(笑
 

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